おめでたい時やお正月には「梅」を飾りますが、なぜ「梅」がおめでたい植物と言われているのかご紹介します

こんにちは、内藤正風です。

昨日のBlogでお正月になぜ「松」を飾るのかを書いたところ、沢山の反響をいただきました。なので味を占めて、今日はおめでたいときになぜ「梅」を飾るのかという事について書きたいと思います。

梅を尊ぶのは、古(いにしえ)よりの文化です

もそも ”梅を愛でる” という文化は、古来に中華圏から渡ってきたものです。
日本で花見と言うと「桜」が一番に思い浮かびますが、これは日本独自の価値観で、桜の花見が日本において一般化するまでの昔々その昔は「梅」がその中心だったのです。

というのも、昔は遣隋使や遣唐使に代表されるように、色々な文化や政治制度、流行りなどを中華圏から持ち帰り、日本のあらゆる事柄に影響を与えました。
その様な中の一つとして梅を愛でる文化も、中国の文人画などに好まれる画題「歳寒三友(さいかんさんゆう)」などに用いられている事からも分かるように、日本に影響を与えていたという事なのです。

サクラは元々は神聖な存在と考えられていました

では今のように桜を愛で、お花見と言えば桜を指すようになったのはなぜかというと、遣隋使が廃止され中華文明からの影響が弱まることで、それまでの中華文明を取り入れ真似をしていた段階から日本独自の文化が発展するようになったからです。

そもそも桜は農耕を国の基本としてきた日本にとっては、古来より切っても切り離すことが出来ない存在でした。それは「サクラ」という名前の由来でもある、「サ」は田の神様、「クラ」は神様のおわす場所という事からも分かるように、「サクラ」は田の神様が降りてこられる依代(よりしろ)と考えられており、特別な存在であり神聖なものとされていたのです。

なので桜が咲くという事はイコール田の神様が降りてこられた証であると考え、田の仕事が始まる時期として皆で集まってお酒や食べ物をお供えしその年の豊作を祈願し、そのお下がりとして宴を催していたという事なのです。

この様に歴史を見てみると、日本人にとっては梅でお花見とならずに桜でお花見をするようになったという事も、納得できますよね。

梅を尊ぶ理由は、その姿に人の姿を重ね合わせた事にあります

梅はまだ寒さが厳しい中を、他のどの花にも先立って咲く事から「百花の魁(ひゃっかのさきがけ)」と呼ばれます。
またこのように花が他の植物よりも先に咲く姿を人間に置き換えて、他よりも先に花が咲くというのを他の人よりも先に結果を出したり世に認められるという事につながるとして、おめでたい材料と考えられています。

また、梅の新芽は「スワエ」と呼ばれて、まっすぐに勢いよく天に向かって伸びてゆきます。
この姿が大いなる発展や進歩、成長を連想させると言う事からも。おめでたい材料と考えられているのです。

一枝を挿すことで得られる心の豊かさを楽しんでみませんか

梅1枝だけでも、とても素敵な空気感を醸し出してくれます。
梅の枝が持つ凛とした空気感、梅の花のふくよかな香り、部屋に植物がある心の豊かさ、これだけのものがたった1枝で得ることが出来るのですから、素晴らしいと思いませんか。

折角の新年です。お花屋さんに行けば梅の枝が店頭に並んでいますのですぐに手に入ります。そして器が無ければグラスでもお皿でも水が溜まるものであれば何でも良いですから、ちょっと一枝生けて飾ってみてはいかがでしょうか。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。

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