「自主性」と「主体性」をもつ大切さ

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日は午前中は光風流SNS委員会の定例会議、そして午後からは光風流総会と光風忌の準備を行ったのですが、その中のSNS委員会においてお話しさせていただいた「自主性と主体性」ということについて、今日はブログで取り上げたいと思います。

自主性と主体性とは

「自主性」と「主体性」という言葉は、日頃色々な場面で度々用いられる言葉ですので、初めて聞くという方はまずおられないと思います。しかしこれらの言葉の意味の違いを明確に答えようと思うと、はっきり答えることができなかったりする言葉だと思います。
なので、この二つの言葉について考えるに際しては、まずこのそれぞれの意味を正しく理解することから始める必要があるかと思います。

まず「自主性」とは、あらかじめ決められていることを自ら率先して行動することを言い、「主体性」とは、自分の意志や判断により自らが責任をもって行動することをいいます。
つまり例を挙げると、自主性とは、掃除をしましょうと定められている決まりを率先して取り組むというような事であり、主体性とは、自分がいる部署や組織で起こっている問題について考え、その改善策を提案するというようなことになります。

お客さん意識ではいけない

このようにして考えると、「自主性」と「主体性」それぞれの行なうことには違いがありますが、共通点がある事にも気が付かれたのではないでしょうか。それはどちらもが、自らが主役であるという考え方に基づいているという事です。

先ほどの例で挙げた、掃除をしましょうと定められている決まりを率先して取り組む「自主性」というのも、決まりやルールは誰かが決めたものであっても、その決まりやルールを率先して守ろうとする主役意識がそこにはありますし、自分がいる部署や組織で起こっている問題について考え、その改善策を提案するという「主体性」も「自ら進んで」ということがそこに必ずあります。

つまり “誰かがしてくれるだろう“ 的な「お客さん意識」は存在していないのです。

行動が伴わなければ意味がない

これは私がいつも申し上げていることですが、行動が伴わなければ全ての事柄が意味をなしません。100の思案をしても1の行動がなければ、その100の考えは無かった(考えていない。考え自体が存在していない)ことと同じなのです。
今日取り上げている「自主性」も「主体性」も、行動が伴って初めて意味をなすものです。そして行動とはすなわち、何かしらの結果が伴うということなのです。

行動には必ず結果が伴います。思い通りの成果の場合もあれば、思ったような成果を出すことができない場合もあります。
だからこそ、その結果に基づいて次に取り組むべき事柄の指針になったりヒントやアイデアになるのです。

今日はSNS委員会においてお話させていただきながら、「自分で考える。そして行動する。」というこの事こそが一番大切だなぁと、改めて思う機会になりました。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。