「秋茄子は嫁に食わすな」の故事は、日頃の人間関係のありかたによって ”愛” に聞こえたり ”意地悪” に聞こえたり全く変わります
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
先日(8/7)、立秋を迎え、暦の上では秋になっています。が、この連日の暑さからはそんなこと微塵も感じることがなく、口を開けば「暑い・・・」しか出てこない日々が続いています。
秋に入ると美味しいものがイッパイあります
これからお昼の長さも段々と短くなってきますし、秋の食べ物もおいしくなってきます。お魚で秋といえば、サンマ、カツオ、太刀魚、なんかが私は一番に思い浮かびます。野菜だと、マツタケ、シイタケって感じでしょうか。
ところで「秋茄子は嫁に食わすな」っていう言葉がありますが、この言葉って日頃の人間関係のありかたによって ”愛” に聞こえたり ”意地悪” に聞こえたりと全く変わってくるってご存じですか。
同じ言葉でも話す人によって全く違って聞こえる場合があります
日頃の人間関係が信頼によって成り立っている人同士ならば、「ナスは水分が多い野菜で身体を内側から冷やす野菜になるので、食べ過ぎるといけないので注意しなさいよ」って風に聞く事が出来るでしょうが、日頃から関係がギクシャクしている人からこの言葉を言われると、「秋のナスは美味しいので貴方には食べさせません」って風に伝わってしまう場合もあるでしょう。
これって、同じひと言であっても、日頃の人間関係によってその意味合いがまるっきり違って聞こえてくるのですから、面白いですよね。
人と人の繋がりは、交流の頻度と信頼関係によって成り立っている
とはいえ、こんな事書きながら、私自身の日ごろの行ないが良いのか悪いのかは自分では解んないです。だって私の事を判断するのは周りの皆さんなのですから。
私が自分で「日頃の行動は良い」といくら思っていても、周りから私の事をご覧になっていて”信頼できない奴!”って思われていたらそう言うことなんです。それも含めて日頃の関係性なんだと思います。
人と人の繋がりは、交流の頻度や信頼関係で成り立っており、都合の良い時だけ気に入られようとか、自分の思うように物事を進めたいと思っても、信頼関係が無ければそれは無理な話です。
だからこそ日頃の行動の積み重ねが大切だと古来より言われてきているのですし、大きな声出したり暴言を吐いたりしていたのでは、周りの人から「信」を得る事は難しいと思います。
という事で、今日からしばらくは会う人会う人に「秋ナス食べたらアカンよ~」って言ってみたらどうでしょう。
そうしたら自分が相手からどんなふうに思われているか、すぐに相手の反応で判断する事が出来ちゃうかもしれませんよ(笑)。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。