SNSがいくら発達しても、人は会った回数や一緒に何かをした回数が、繋がりの深さや強さになるのです

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

昨日から奈良に来ています。
いつも仲良くして頂いている先輩や仲間の皆さんが、去年と一昨年のコロナ禍で還暦のお祝い会が出来なかったので、還暦パーティーをしてみんなでご飯を食べようと日本中から集まってワイワイ楽しい時間を過ごしたのです。

ま、お祝いしてやろうという名目の飲み会ネタです。昔あった、♫酒が飲める♪酒が飲める♪酒が飲めるゾ~♫の歌みたいなもんです(笑)

 

SNSの登場で、より大切になった「人と会う事」

久しぶりの方と会うといつも思うことがあります。それは、SNSの登場で会っていなくてもやり取りをずっとしているので、久しぶり感がほとんどないですし、その意味で言うと会えない期間ってあまり問題ではなくなったなぁと思います。
とはいえ、SNSをやっているからと言って、会っていないのが会った事には絶対にならないですし、その意味で言うと足を運んで人と出会うという事の大切さがより一層増したように私は思うのです。
つまりどういう事かというと、SNSで連絡できるのに ”わざわざ足を運んできてくれた” という価値です。

オンライン飲み会が定着しなかった理由

コロナ禍に流行ったものの1つにオンライン飲み会があります。オンライン飲み会っていうのは簡単に言ってしまえば、zoomやMessengerなどを使ってそれぞれのお家で飲み物や食べ物を用意して飲みながら、画面を通じてみんなでワイワイ言う飲み会です。
コロナが流行っている時には、とにかく出掛ける事が出来ないのでオンライン飲み会があちらでもこちらでも開催されていましたが、もう今やオンライン飲み会に誘われることもないです。

ではなぜオンライン飲み会が定着しなかったのかというと、一番の理由はオンラインだったからなのだと思うのです。
自分で(お家で)つまみを用意するよりも、お気に入りのお店の食べ物をリアルで食べて楽しみたいという事でしょうし、家から出掛けずに済む時短よりも、時間や手間がかかっても友達や仲間と出会ってワイワイ言う楽しさには、オンラインでは置き換えが出来なかったという事なのだと思うのです。

「わざわざ足を運ぶ」という事から伝わる心

人と人は会って交流を深めるのが基本です。熱を感じる距離とでもいうのでしょうか。それはSNSが発展した今も絶対に変わらない事だと思います。
そして現在におけるSNSの役割は、リアルで出会っていない時、つまり隙間を埋める存在にシフトしたのだと思います。

コロナ禍でみんな分かったのです。
顔を合わせて話す。息づかいを感じる。一緒にご飯を食べたり飲んだり共通の体験を持つ。そのために時間をお互いに調整し生み出す。これが原点でありなのも変わらないなのです。
だからこそ「わざわざ足を運ぶ」という、時間を使い、交通費を使い、手間をかける行為に価値が生まれ、友情を深める大きな要因になってくるという事なのだと思うのです。

なんか着地点の無いグダグダBlogになっちゃいましたが、そんな事を改めて痛感する機会になりました。
ってことで、さあ、帰ります。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。