明日は十五夜ですが「満月」ではありません。ってか実は、十五夜が満月になる事の方が少ないってご存知ですか

こんばんは、内藤正風です。
今日は本部いけばな教室でお稽古日でした。

夜のヒトコマ

 

朝からず~っとどなたかがお越しになられて、お稽古をしたりお話をしたりさせていただいていると、1日なんてアッ!!という間に過ぎてしまいます。
今日も先ほどお稽古を終えて、パソコンに向かってこのブログを書いています。

明日、9月13日は「十五夜」です

明日は「十五夜」です。
十五夜には月を愛でてお月見をするというのが古来からの風習です。

ちなみに十五夜と中秋の名月と仲秋の名月については、一昨日の私のブログでも取り上げましたので、もし興味があったら読んでみてくださいね。
興味のある方はこちら↓↓↓をクリック
もうすぐ十五夜ですね。ところでこの季節には「中秋の名月」と「仲秋の名月」の文字を目にしますが、これってどう違うのかご存知ですか

ところで「お月見」と聞くと「満月」ってイメージする人が多いと思いますが、じつは「十五夜」は満月ではないことの方が多いのをご存知でしょうか。

十五夜が「満月」でないことがなぜ多いのか

十五夜と聞くと満月と思いがちですが、実は満月ではないことの方が多いのです。その理由はとても簡単です。
それは、「旧暦」は「月の月齢」とイコールではないからなのです。

私たちが今使っている暦は「グレゴリオ暦」です。そしてこの暦が明治時代に日本に導入されるまでに使われていた暦の事を「旧暦」といいます。
この「旧暦」は簡単に言うと、月の動きをもとにして作られた「陰暦」により正確さをプラスするために、太陽の動きも加味して考え出された「太陰太陽暦」なんです。

なので30日間で満ち欠けを繰り返す月の動き(月齢)と「旧暦」の15日はイコールではないので、「十五夜」は満月ではないことの方が多いのです。

なぜ満月ではないのに月を愛でるのか

ではなぜ満月ではないのに日本人は月見をして愛でるのでしょうか?
これは私の勝手な解釈ですが、日本人は「未完の完(みかんのかん)」という事を良しとする民族だからだと思うのです。

日本の古くからある文化の1つである「俳句」の世界では、旧暦8月14日の月を「待宵(まつよい)」といい、8月16日の夜を「十六夜(いざよい)」と呼ぶ言葉があります。
「宵(よい)」とは、日が暮れてからしばらくの間の事を言う言葉で、「待宵」とは満月を待つ前日の夜の月の事を言い、「十六夜」は、ためらう、躊躇(ちゅうちょ)する、という意味の「いざよう」という言葉から生まれた言葉で、十六夜の月は十五夜よりも遅くに顔を出すのでその様子を”月が出るのをためらっている”と捉えて名付けられたのです。

こういう未完の状態に価値を見出し、そのことを愛でるという価値観は、世界広しといえども日本人独特のものだと思うのです。
日本の神話に出てくる神様は”絶対神”ではありません。全ての神様に欠点があるのです。しかしそれを上回る長所がありその長所で人々を導いているのが日本の神様なのです。
だからこそそれぞれの神様に魅力を感じたり近しい気持ちを持つことが出来るのだと思うのです。
これって人間でも同じですよね。
こういう日本人の独特な価値観があるからこそ、満月ではないのに月見をして愛でるという行動につながっていると、私は思っています。

ちょっと空を見上げて見ませんか

ちなみに今年の満月は9月14日(土)になります。
月の月齢でいうならば
明日9月13日(金)は「松宵」
明後日9月14日(土)は「満月」
明々後日9月15日(日)は「十六夜」
となります。
この3日間、チョット空を見上げて月を愛でてみてはいかがでしょうか。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。