春雨は 桜の花 を散らしてしまいます。しかしそれと同時に 若葉 を生み出すものでもあるのです

こんにちは。内藤正風です。

昨日はとても良いお天気だったのですが、今日は一転して雨になっちゃいましたね。

先日のブログ
春の雨を表現する言葉の多さから感じた、日本人の感性や情緒の豊かさと、世界に例を見ない日本文化の特徴
でも書きましたが、この季節の雨を表現する言葉って ”粋” なものが本当に多いですよね。

今日の雨はそんな中でもまさしく「花散らしの雨」なんだなぁと、窓から外を見て光風流本部の駐車場にある枝垂桜を見ながらシミジミしています。

なぜ「桜」は、こんなにも日本人の心を揺さぶるのか

桜は春の訪れとともに一斉に花を咲かせます。
冬の寒さがゆるみ、私たちが待ちわびていた春の訪れを体現するかのように一斉に咲き誇るその姿に、心が躍らない人など1人もいないと思います。

そして多くの人がこの桜を愛で、花見をし、楽しい時間を過ごします。宴会好き、そしてお祭り好きの日本人にはこれ以上ない理由ですよね。(笑)
しかし「花の命は短くて。。。」という言葉のように、2週間ほどであれだけ見事に咲き誇っていた桜も散ってしまいます。
春一番や春雨で一夜にして姿が変わってしまうほどに見事に散ってしまいます。

桜のこのような散り際の見事さを、日本人の心情や精神と重ねあわされて評されている方も多いようですが、私は桜がこんなにも日本人の心を揺さぶるのは、花が終わった後にこそあるのではないかと私は思っています。

日本人が桜を愛でる本当の理由は、花が散った後にこそある

桜は花が終わった後に葉が広がります。(一部例外のものもありますが。。。)
桜の花が咲き誇っていた何倍、いや、何十倍、何百倍もの葉っぱが茂るのです。

「花」とは ”現在” を表します。「今」を象徴している存在ということですね。花が「今」を象徴しているということは、言い換えるならば今生きている自分自身を重ね合せて見ているという事なのです。
すなわち、花が見事に咲くというのは、自分自身が桜のように見事に咲きたいという願望でもあるのです。

そして人間は生まれた瞬間から死に向かって生きています。桜も1週間や2週間で散るのがわかっていても、力いっぱい見事なまでに咲きます。
生まれた瞬間から死に向かう人間だからこそ、その生を力一杯生きたいという気持ちと、桜の見事なまでの咲き方に相通じる気持ちを持つのです。

そんな桜は花が散った後に、葉が茂り枝が伸び ”木” 自体が大きく成長してゆきます。
そう、自分と言う「花」は精一杯咲き誇りその生を尽くして散る。今を生きる自分はそれで終わりかもしれないけれども、そのあとには若葉や伸びる枝に象徴される「未来」があるという事なのです。

桜には日本人の心情や魂に訴えかけるものがあるだけではなく、生と死に結びついてDNAや遺伝子レベルで私たちは感じているのです。

パッと咲いてパッと散る姿が見事と言うだけではなく、全力で咲き誇りそして散りゆく姿の一途さ。
そんな花の後に芽吹く若芽や枝の勢いから感じる、未来への可能性の広がり。

私はこれこそが日本人の心情や魂に訴えかけるだけではなく、日本人の生死感に結びついてDNAや遺伝子レベルで桜大好きに結びついているのではないかと思っています。

今年も桜の季節が終わりを迎えました。
桜に負けることなく、私たちも精一杯咲き誇り人生を楽しみ、満喫しつくし、未来の可能性を大きくしてゆきたいものだと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。