日本人が桜を愛でる本当の理由は、花が散った後にこそあると私は思います

おはようございます、内藤正風です。

今日はバスで移動しながらのBlogアップです。

車窓から外を見ていると桜が満開です。

桜は日本を代表する国花ですし、その見事な咲き方と散り方から日本人の精神の象徴のように捉えられています。
しかしこのパッと咲いてパッと散る姿だけをとらえて、日本人の心情や精神と重ね、その象徴とするのは私は早計に感じています。
何故ならば、この桜の姿にはもっと重要な事があるからなのです。

なぜ「桜」は、こんなにも日本人の心を揺さぶるのか

桜は春の訪れとともに一斉に花を咲かせます。
その見事なまでの咲きっぷりは、日本人ならば心躍らない人などまずいないだろうと思います。

そして多くの人がこの桜を愛で、楽しい時間を過ごします。しかし昨年からはコロナ禍でお花見が出来なくなっており、早くお花見が出来る様になることを祈るばかりです。
ただ、今の様子を見ていると、来年の春も無理っぽいかもしれないですが。。。。

話を戻して、楽しい時間はアッと過ぎてしまうもので、1週間から2週間ほどであれだけ見事に咲き誇っていた桜も散ってしまいます。
春一番や春雨で一夜にして姿が変わってしまうほどに見事に散ります。

ほとんどの方が、この咲いて散る姿の見事さに心を奪われるのですが、しかし本来一番大切であり、日本人の心情や精神と重ね、その象徴とするべきなのはこの後だと私は思っています。

日本人が桜を愛でる本当の理由は、花が散った後にこそある

桜は花が終わった後に葉が広がります。
桜の花が咲き誇っていた何倍もの葉っぱが茂るのです。
これが何を物語っているかおわかりになりますか。

少し順番に整理してみましょう。
「花」とはすなわち現在です。「今」を象徴している存在です。
花が今を象徴しているということは、自分自身を重ね合せているのです。
花が見事に咲くというのは、自分自身が桜のように見事に咲きたいという願望でもあるのです。

そして人間は生まれた瞬間から死に向かって生きています。
桜も1週間や2週間で散るのがわかっていても、力いっぱい見事なまでに咲きます。
生まれた瞬間から死に向かう人間だからこそ、その生を力一杯生きたいという気持ちと、桜の見事なまでの咲き方に相通じる気持ちを持つのです。
そして見事に散りたいと思っても不思議はありません。

桜は散った後に、葉が茂り枝が伸び大きく成長してゆきます。
自分と言う「花」は精一杯咲き誇り、その生を尽くして散る。
自分はそれで終わりかもしれないけれども、そのあとには若葉や伸びる枝に象徴される「未来」があるという事なのです。

桜には日本人の心情や魂に訴えかけるものがあるだけではなく、生死感に結びつきDNAや遺伝子レベルで私たちは感じているのです

パッと咲いてパッと散る姿が見事と言うだけではなく、全力で咲き誇り散りゆく姿の一途さ。
花の後に芽吹く若芽や枝の勢いから感じる、未来への可能性の広がり。

これこそが日本人の心情や魂に訴えかけるのだと私は思っています。

私たちも桜に負けることなく精一杯咲き誇り、人生を楽しみ満喫しつくし、未来の可能性を大きくしてゆきたいものだと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。