「描く人 安彦良和」の内覧会に行って感じた、作品の力は作者の魅力と正比例するという事
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
早速ですが、この絵は皆さん色々なところで目にされたことがあると思いますが、どんな方が書かれものかご存じですか。
ご存じの方も多いでしょうから結論を言いますと、安彦良和さんとおっしゃられる方なんです。
昨日兵庫県立美術館に、「描く人 安彦良和」の内覧会に行って、テープカットでお姿を拝見したのですが、ま、知らない方から見るとただのお爺ちゃんなんです。
この方の手から、先にご紹介させていただいたような絵が生み出され、様々な物語を作り出されている。そしてそれは現在進行形であると思うと、ホント凄いとしか言いようがありません。
作品は作者の内面を映し出すもの
いけばなの作品でもそうですが、作品という類のものは作者の内面がそのまま映し出される存在になります。
ものすごく若々しい作品を生けられるお婆ちゃん、お年よりが生けたような作品を作る若い方、女性っぽく繊細な作品を作り上げられる男の方、雄々しく豪快な作品を生けられる女性、これら全てがその作者の方が持つ要素になります。
作品というものは、その方の分身といって差し支えないと思います。つまりその人以上は出てこないし、その人以下のものにもならないという事です。
そしてこれらはどれが正しいとか間違っているという事ではなく、そのすべてが魅力であるという事が出来ます。
自己成長と試行錯誤無くして良い作品は生まれない
と、このように書くと、じゃあ自分の思い通りに作品を作ればいいのね。という風に短絡的に考える方がおられますが、それって大きな間違いだと思います。だって成長のない人に魅力なんて継続してゆかないですし、すなわちそれは、最初は魅力的な作品だなぁと思っても、どこかで「あれ?いつも同じやん。。」とか、「なんか最近面白くなくなってきたなぁ」って見る人に思われてしまうという事に他ならないのです。
世の中は移り変わってゆきます。そして見てくださる方もどんどん成長してゆかれています。そんな中で作者だけが何の勉強もせず刺激も受けず成長もなかったら、そりゃあ魅力を維持し続けることなんてできるはずがないですよね。
すぐれた作品は作者の試行錯誤の末に生み出されています。試行錯誤のない作品なんてありえないのです。そしてこの試行錯誤とは言い方を変えれば「生みの苦しみ」という事でもあるのです。
アンテナを立て続け感性を磨き続ける
昨日見に行った「描く人 安彦良和」では、若いころから現在に至るまでアンテナを立て続けておられること。そのアンテナは年を重ねるごとに高さが高くなり本数が増えているのがものすごく分かる展示になっていること。そして感性がどんどん研ぎ澄まされ、その輝きが益々増し続けている事。それらを肌で感じることができ、安彦良和さんの凄さを痛感するとともに、ものすごい刺激を受ける機会になりました。
お花の技術や知識を磨く、それは言うまでもなく不可欠な事です。しかしそれと同じかそれ以上に、アンテナを立てて何かを感じることや、アンテナを磨いたり数を増やすことが出来るように自らを磨き続けることの大切さを改めて思い知らされる機会にもなりました。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。