いけばな展では作品を展示することが目的だと思っている方が多いですが、いけばな展の本質は「通信手段」として意味変が出来ているこそが大切なのです

こんにちは、内藤正風です。

今日は朝から光風流本部いけばな教室において会議を行なっています。
とはいえ、会議自体は各担当の先生方がしっかりと行なってくださいますので、隙間時間にこうやってブログを書いたりなんかすることが出来ています。

今年の光風流いけばな展は12月に開催します

いけばなの世界では「春」と「秋」がいけばな展のシーズンになります。
今年もこれから来週の週末に予定されている「光風流西播支部いけばな展」を皮切りに、「日本いけばな芸術展」や「兵庫県いけばな展」をはじめとして様々ないけばな展が開催されます。

とはいえ、春と秋にしかいけばな展を開催しないということではありませんので、今年の「光風流いけばな展」は12月に開催する予定になっており、今日の会議の中心議題の1つでもあります。

そんな中私は「いけばな展」って作品を展示する為だけの場として捉えてしまうと、いけばな展が持つ可能性を失ってしまうと思っていますので、今日はそのことについて書きたいと思います。

企画し準備している時のワクワク

いけばな展はまず企画し準備することからスタートしますが、この段階はウキウキワクワクが止まらないんです。
だってどんなことをしようかと考えていると企画が際限なく浮かんできて、おバカな妄想で頭がいっぱいになってニヤニヤしちゃいます。

それから皆さんの作品作りと役員はじめ出瓶者の皆さんによるいけばな展の運営と言う側面がまた楽しいのです。
今までできなかった生け方がお稽古を積み重ねることによって出来るようになっていてくださったり、作品の完成度が準備期間よりも一段も二段も向上したり、いけばな展の運営を通じて役員の皆さんが色々な学びを得てくださっていたり、他にも仲間同士の絆を深く強くして下さったりしている様子をみていて、皆さんの活躍や成長が本当に嬉しいですし心強いですし、頼もしいです。

作品を作り上げている時のワクワク

そして次には自分の作品作りを行なうのですが、自分の作品作りの時はいけばなを生ける人と言うか作家というか、そういう感覚で満たされていて、作品を作り上げる事のみに集中し焦点が当たっています。
なので一本の枝、一輪の花、一枚の葉を見て、イメージを具現化してゆく中で、楽しくて楽しくてたまりません。
いつもお花を生けている時にはすごく集中しているので、自分ではわからないですがニヤニヤしているかもしれませんし、鼻歌交じりかもしれません(笑)
これはある意味でいうと「内向きの楽しさ」というか「自己の内面に向かった楽しさ」なのです。

いけばな展本番のワクワク

「いけばな展」が始まったら、会場に来てくださる皆さんとお出会いさせて頂きお話しさせて頂くのが本当にうれしいです。
いつも出会っている友人でも、お花の作品を前にして話をしていると日頃は出てこない話題がポンポン飛び出してきてとても面白いです。
また逆に、日頃ご無沙汰している方とも「いけばな展」と言う事でお出会いさせていただく事も出来て、これも本当に楽しいのです。
いうなれば、皆さんと一緒に楽しむという「外向きの楽しさ」というか「身の回りの全ての皆さんと一緒に楽しむ事で、倍増される楽しさ」なのです。

いけばな展は「展示会」だと考えずに「通信手段」だと考えたほうが良い

このようにいけばなの楽しみを分解して考察すると“いけばな展の存在意義“や“楽しみ“って「いけばな作品の展示」だけではないということが、明確にわかってきます。

いけばな展などをはじめとする展示会を開催するとなると、指定の場所に作品を展示することで目的達成になります。
確かに作品や物品を売るという性質のモノでしたら、誰が来てくださったかではなく、何点売れたかで判断することもできるでしょうから、それもありかもしれません。

しかし「いけばな展」は展示した作品を販売するわけではありませんので、作品を展示することだけが目的であってはいけないと私は常々考えています。

ではいけばな展は何であるべきなのかというと、私は「通信手段」として意味変して捉えるべきだと思っています。

人と会うための通信手段

いけばな展を開催すると、色んな方がお越しくださいます。
会場にお越しくださった方と出会い、話し、そしてそこから新しい企画や話が広がったり、新しい出会いがあったり、久しぶりの出会いを懐かしんだり、可能性が広がったりします。

日頃中々お出会いさせて頂くことが出来ないような方も、いけばな展のご案内を差し上げるとわざわざご来場くださったりするのですから、その意味で考えるといけばな展は「通信手段」として生かさないと勿体無いと思います。

通信手段の素材を手に入れるための場

いけばな展を開催しているということは、自分の作品をはじめ様々な作品がそこには展示されているということです。
ということは、その場所に展示されている作品を、色々な媒体で発信したり残したりすることが出来るという事でもあります。

私は全ての人が情報発信者になることが出来ると思っています。それはSNSを使うというような事だけではなく、写真(デジタルデータや紙媒体としての写真)というであっても同じです。
スマホで撮影した写真だけではなく、手帳にプリントされた写真を挟んでおいてお友達に見てもらったり、光風流のいけばな展でしたら毎回作品写真集にしていたりもしているので、1回いけばな展を開催すればデジタルやアナログ問わず素材を沢山手に入れることが出来ます。

なので例えば、自分の作品作りにあたって花材の提供をしてくださった方にお礼とご報告を兼ねて作品写真集をプレゼントしたり、お友達に自分の作品を見て頂いたりするなど、あらゆる拡散をすることが出来るようになるのですから、これも「通信手段」であるという事が出来ると思います。

いけばな作品が素晴らしいのは、言わずもがな

あっ、ここで間違いがあってはいけないので付け加えておきますが、作品がどうでもいいとは言っていませんよ。
作品は心を込めて作り上げ自分の分身だという事が出来る、自分にとっての唯一無二の存在にまで仕上げておかなければならないのは言うまでもありません。
だって
通信手段にできるようにするには、いけばな作品がその大元であることは間違いないのです。そのためには心を込めて、妥協をせず。自分の全ての力を注ぎ込んで作った作品の展示はスタートラインだという事です。

どんなに情報発信をしているお店があっても、不味い食堂には誰も行きませんよね。
そういう事です。

思い込みから解き放ち、本質を正しく理解することこそが、新しい扉を開く第一歩です

いけばな展は、作品を展示しているという意味でいうと「展示会」です。しかしいけばな展で必要なのは「展示会」ではなく「通信手段」としての取り組みなのです。

思い込みを解き放ち、本質を正しく理解することこそが、自分の可能性を開く第一歩になります。
まずは思い込みから無くしてみませんか。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。