みんなに誤解されている「基本」。「基本」を深く理解するということは「こうしなければならない」を無くすということに他ならないのです

こんにちは、内藤正風です。

今日は朝から、今週末に開催する「展覧会形式の勉強会」の準備を行ないながら、午後からは会議に出席したり雑務をこなしたりなので、その合間にブログを書いています。

「基本」は自分が活躍する舞台を作る作業です

「基本」って聞くと「堅苦しい」とか「窮屈」とか「難しそう」とか、「レベルの低いもの」とか「初心者のもの」っていう印象を持たれる方が多いと思うのですが、これって実は大きな間違いなんです。

まず最初に確認しておきたいと思いますが、「基本」が有るということはそこに「変化」「応用」が存在するって事ですよね。
だって「基本」しか存在しないのならば、そのことをわざわざ「基本」と言うくくりにしたり、「基本」と呼んだりする必要は無いんですから。
って事は、基本は変化応用するための礎として存在するといっても過言ではないと思うのです。

では次に「基本」とは何かということを理解しやすい様に、他のものに置き換えてみましょう。
「基本」を学ぶということを例えるならば、舞台を作っているのとよく似ていると私は思うのです。
沢山の「基本」を学んでいるということは、舞台の規模が広くなったり設備が整っていっているという事です。
10の基本を学んでいる人には、10の広さや設備の舞台が有ると言う事です。100の基本を学んでいる人は舞台の広さや設備が100有ると言う事です。

すなわち舞台の広さが大きかったり設備が整っていたりするということは、その広い舞台の上で自由に駆け回ったり踊ったり出来るわけですし、設備も色んな機能が備わっているということは、あらゆる場面に対応することが出来る可能性の広さや柔軟性があるということになります。

これを「いけばな」に置き換えると、自分の作品をつくるにあたって、自由に変化応用して楽しむ事が出来る様になるって言うことに他ならないのです。

基本をどうとらえるかで、見え方が全く違ってくる

一般的に「基本」と聞くと、「制約」という捉え方をされる方が多いのではないでしょうか。しかしこれはそのように考えておられるご本人が制約という足かせにしてしまっているだけなのです。
つまり基本を「
自分の行動を制約する外枠」と捉えるのか、あるいは「自分の行動の土台や核になるもの」と理解するのか違いなのです。
ハッキリ言ってこの理解が違うだけで、マルッきり違う理解になってしまうことがお分かりいただけましたでしょうか。

すなわち基本とは「全ての土台」であり「核となるもの」なのです。
基本をしっかりと学ぶとともに沢山の基本を習得すればするほど、自由になることが出来るということなのです。

「こうしなければならない」と言う考え方は、自らの手かせ足かせにしかならない

「こうしなければならない」と言う考え方は、未熟だからこそ生まれる思考だと私は思っています。
だって未熟で自分の中にある知識や技術や経験が限られているので、手札が少ないから解決策が思い浮かばないということが「こうしなければならない」という自らに手かせ足かせをつけている事に他ならないからです。

結局、自分以外の誰かのせいにして制約を設けて、仕方ないという思考停止に甘んじているということです。たしかにそうするのが自分自身が一番楽に過す事が出来ますから。(笑)
しかしその先に新しい発想もアイデアも挑戦も生まれる事は絶対にありません。

思い込みは自分の思考や行動を制限する事は有っても、解き放つことは絶対にありません。
自分の中にある思い込み「こうしなければならない」を無くす事こそ、「基本」の正しい理解の第一歩であると共に、「変化」「応用」を自由にできるようになる唯一無二の方法だと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。