「変化応用=変わった事」と思われているんでしたら大きな間違いですし、その思考から自己成長に繋げることはできません
ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。
昨日は、「「基本」とは初心者のものではなく、自分らしさを表現するための核であり土台なのです」というタイトルで「基本」ということについてブログを書いたのですが、今日は変化応用ということについて書きたいと思います。
「変化応用=変わった事」ではありません
変化するとか応用するというと、目先の変わったことをすればよいという風にとらえる方がおられますが、これは大きな間違いです。それはなぜならば、基本があるから変化や応用というものが存在できるのであって、元になるものが何もない状態から変化や応用はそもそも存在しないという事なのです。
基本には「型」や「決まり」というものが存在します。そしてその型や決まりをもとにして変化させたり自分なりの創意工夫を加えてゆくからこそ、変化応用ということができるのです。土台となるものが何もないのにとにかく目先の変わったことをするのは、単なる無茶苦茶としかいいようなないのです。
昔からの言い方で言うならば、型を学んで習得してから型を崩すから「型破り」になることができるのです。型を学ばず習得もまだ出来ていないのに崩そうとするのは、単なる「型無し」でしかないのです。
つまり変わったことをするという思考や行為は、変化や応用ではないという事です。
変わっているというのは、絶対的な判断ではありません
ここで一つ考えてみたいと思います。「変わった事」っていうのは何がどう変わっているのでしょうか。この判断基準って絶対的なものではなく単なる主観でしかないんです。つまり変わっていると勝手に決めているだけという事です。
例えば、食堂に入ったときに手掴みで食事をされている方がいたら、「変わった人がいるなぁ」って思いますよね。けれど世界には手掴みで食事をする習慣の国が沢山あります。なのでそういう国の人から見ると普通の事ですよね。
変わっているかどうかの判断なんて、一律に計ったり決めたりできるものではありません。自分は変わったことをしていると思っていても、他の人から見たら、極めて普通の事もあります。またその逆に、自分は普通だと思っていても、周りの人から見たら変わっていると思われることもあります。
なので変わったことをするということには何の価値もないし、そこから魅力が生まれてくるということも絶対にないのです。
変わったことをしようというのは、そもそも独りよがりの考え方です
「変わったことをしよう」って思っている時点で、それは独りよがりの考え方であって、一番大切な「相手」という要素が欠落しているのです。
例えばいけばなの作品を作るときに大切なのは、どのようにすれば使用する材料の一番魅力的な部分を生かすことができるかという考え方であったり、その作品を見てくださった方を楽しませたいとか、ご覧下さる方の予想を超えたいという思いであったりです。
そのために必要なのは自己成長であり、自己成長に必要なのは常にチャレンジする姿勢だと思います。
昨日のブログでも書きましたが、基本はレベルの低いものではありません。なので基本をより深いレベルで理解できるように研鑽するべきでしょうし、自分が得意としている土俵にこじんまりと収まろうとするのではなく、それ以外の土俵に足を延ばしたりチャレンジをしたりすることが、自己成長に結びついてゆくのです。
もちろんチャレンジすれば思い通りにならないことも出てきます。しかしその経験は必ずこれからの自分にプラスの作用をもたらしてくれるものになります。
変わったことをする=型破りだなんて思っていては、いつまでたっても型破りはできないですよ。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。