正しく変化しようと思うならば、歴史と伝統を学ぶことから始めるのが一番の近道です

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

いけばなをしていると、「”いけばな” も ”社会” も ”組織” も ”人間” も、その本質は全く同じだなぁ」と感じる場面にたびたび出会います。特に何か変えるという事においては、全く同じだとつくづく思うのです。
今日はそんなことについて、ブログを書きたいと思います。

いけばなには「基本・変化・応用」があり、正しい変化が出来るようになりたければ基本が大切になる

いけばなには「基本・変化・応用」があり、まず最初は基本から学んでゆきます。そして基本の次に変化を学ぶのですが、変化と聞くと「とにかく変わったことをすればよい」と思っておられる方があります。しかしこの考えは大きな間違いで、変化は基本から派生したものであって、単に目先が変わっていることが変化ではないのです。

いけばなをお稽古されている方の中には、自分の未熟さを目先の変わったことをして誤魔化そうとしたり、何かが変わっていた方が基本よりもレベルが高いと勘違いされていたりされます。
変化という文字には「変」という文字が用いられています。なので変わった事という理解に結びつきやすいのかもしれませんが、変わるという言葉の意味は、「元になるものがあってそこから別の状態になること」を言います。つまり何でもよいから目先が変わるというのは変化とは言うことが出来ず、元になるものから正しく変わる、言い換えれば進化してゆくことこそが変化という事なのです。

なぜその決まりがあるのかを考える

そしてこれは組織においても同じことがいえ、私共光風流においても、一つの決まりがあった時に、とにかくその決まりを変えようとする人がたまにおられます。そしてそういう方は、先に書いたお花と一緒で、とにかく何でもいいから変えればよいと思っておられます。
しかしそこで私がはっきりと言いたいのは、決まりが存在しているという事は、何かしらの原因や理由があってその決まりが設けられているという事にほかならないという事であり、決まりを一つ変えようと思ったのならば、まずはその決まりがなぜ設けられたのかという事を知ることからはじめなければ、正しい変化をすることはできないと思うのです。

大きな声を出せば意見が通るとか、ワーワーとにかく言えば意見が通るなんて、そんなことがあっては絶対にならないですし、正しい変化をするためには基本を知ることが大切だと私は思っています。

爪痕を残そうとする人に限って良いものはできない

時代はどんどん移り変わってゆきます。世の中もどんどん変化してゆきます。そのような中で生き残ってゆこうと思ったら、変化することを拒んではなりません。自ら進んで変化しなければならないのです。
とはいえ、なんでもかんでもとにかく変われば(変えれば)いいのではなく、これまで積み重ねてこられたものをしっかりと理解することから始め正しい変化をしなければ、ただのあだ花になってしまい世の中から抹殺されてしまいます。

いけばなを学べば学ぶほど、基本、すなわち大元を正しく理解することの大切さを痛感しますし、それは”いけばな” も ”社会” も ”組織” も ”人間” も全く同じだなぁと思うのです。
しっかりと大元を正しく理解できていない人に限って、なんとか爪痕を残そうとして無茶苦茶なことをやろうとする傾向が強いです。しかしながらそれは正しい変化が出来ていないので、良いものには決してならないという事なのです。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。