「思う様な嫁は来ない」という言葉って、いけばなにも通じる ”真理” を身近な例に置き換えて分かり易く表現されていると感心します

こんばんは、内藤正風です。

今日は朝から光風流本部いけばな教室でお稽古をしています。
兵庫県は現在、緊急事態宣言下ですので、私の個人的に開催している教室については完全予約制として人数制限をし、マスクや換気や消毒を徹底して開催しています。

人数制限をしているとお1人お1人とゆっくりお話させて頂く事が出来るので、前回の緊急事態宣言の時にも思いましたが、これはこれでアリだなぁと思います。

「思う様な嫁は来ない」という言葉から見える真理

今日の教室を行ないながら生徒さんと話したことの中に「思う様な嫁は来ない」という話がありました。
というかこの話自体は、10数年前に笑い話としてお稽古に来られていて話された内容なのですが、これってものごとの真理を言い表している深い言葉だなと思うのです。

「嫁」という表現がなされていますが、自分以外の人間をこの「嫁」という表現に置き換えて考えて頂いたら分かり易いと思います。
自分以外の人間が自分の思うように行動するなんてありえないですよね。血肉を分けた親や子供といえども、そんなことは絶対にありません。なんなら自分と同じ親から生まれ育てられた兄弟姉妹であっても、考え方や好みなど全てが違います。

そうなんです。自分以外の人間が、100%自分の思うようになることなんて無いのです。

もっと言うなら、自分自身が自分の思うようにならない時も多々ありますよね。歌を上手に歌いたいのに歌えない。スポーツ万能になりたいのになれない。もっと手際よく仕事が出来るようになりたいのに出来ない。
ええ、世の中、思い通りになる事なんてまずないのです。それが本質です。真理なのです。

思う様な枝ぶりの材料は無い

これって ”いけばな” でも同じことが言えます。
自分が欲しいと思うような枝ぶりの材料なんて、まず手元に届く事はありません。だって、自然の素材を相手にしているのに、自分の欲目で考えたような都合の良い枝ぶりになった材料なんて有る方がおかしいのですから。

隣りの人が手にしている材料が良く見えてしまったり、自分の手元にある材料の悪いところばっかり目についてしまうというのは、結局自分自身の経験や思慮の未熟さ以外の何物でもないってことなのです。

いけばなの醍醐味は、”変化””応用”する事にこそあるのです

いけばなに基本(型)があるのは、土台となるバランス感覚を身につけるためです。そして基本があるという事はその先には、変化し応用するステップが存在しているという事でもあります。
すなわち枝ぶりに合わせた臨機応変な対応をすることが可能になるという事ですし、枝ぶりの一番良いところを活かすことが出来るようになるという事でもあるのです。

自分で思うような枝ぶりというのは、自分の中にある限られたものしか生み出すことが出来ません。自分の枠を超えた思わぬ枝ぶりだからこそ、試行錯誤をしてそれが自分の成長につながると共に新しい作品に繋がってゆくのです。

そんな風に考えると「思ったような嫁は来ない」という言葉って、分かり易く物事の真理を突いた言葉だなぁと思いませんか。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。