この映画は西野亮廣さんからすべての人に贈られたエールでした。映画「えんとつ町のプペル」を見て思いっきり涙を流すと、幸せな気持ちやもう少し頑張ってみようって思うことが出来るようになります

こんにちは、内藤正風です。

今朝はどんなプレゼントがサンタさんから届いているかなぁと思いながら起きたのですが、プレゼントが見当たらず、今も密かに「驚かそうと思ってどこかに隠してあるのかな?」なんて思って、色んなところをキョロキョロ見て探しています。

映画「えんとつ町のプペル」、見に行ってきました

今日から公開の映画「えんとつ町のプペル」見に行ってきました。

 

昼間は無理なので、仕事を終えてから行ける最終回を予約して用意万端整えて行ってきました。
映画はビールを飲みながら見たい派なので、もちろん車は外して電車で行ってきましたよ~。

オッサンの威厳もクソも木っ端みじんになる程泣いちゃう映画でした

この映画、取扱注意です。
だって、いい年こいたオッサンの、威厳もクソも木っ端みじんに砕け散ってしまって丸裸にされてしまうほど心が揺さぶられて、涙が止まらなくなっちゃうんですから。

映画の前半は笑いながら見ていたのですが、中盤のゴミの山にプペルがブレスレットを探しに行くシーンで1回目の号泣してました。
(笑)
そしてその後は、泣き続けではないけれど涙の乾く間のない状態でした。
映画館って暗くて良かった~~。そしてコロナで席がひとつ飛ばしで良かった~~~。

子どもの頃の記憶が蘇って、自分の原点というか核を見てきたようでした

映画を見ていて終盤に近付くにつれて不思議な感覚に見舞われました。「あれ・・これ子供の頃にこんな思いしたやん・・・」って。
みんな一度は経験有るんじゃないでしょうか。一生懸命言っているのに誰からも理解されなかったことや、みんなと違う事をして馬鹿にされた経験が。

私は物心ついたころから「なんでだろう」って思う事がありました。
それは、友達と同じことをしていても私だけが大人から叱られたり、あるいは大人から意味不明な差別をされたり。。。
この大人というのは、幼稚園や小中学校の先生と友達の親たちです。

今となって思えば、私だけ目立っていたのですね。
私の性格もそうですし生まれ育った環境も一般的な多数を占める皆さんとは少し違っていたので、異質なものとして扱われていたのだとおもいます。

みんなと違うと、攻撃を受けたり排除しようとされる日本

私は子供の頃より、自分が納得できない事は相手がたとえ誰であっても何故なのかを質問し、私に分かるように説明してほしいと言っていましたし、それでも納得できない事はいう事を聞きませんでした。
また親からも、「自分でしっかり考えて責任を持って行動するように」と言われて育てられていましたので、余計にこの傾向は強かったのだろうと思います。

そして家族構成も、私は父が57~8歳で母が40歳の時の子供だったり、義務教育が終わるまでは母の姓を名乗っていたりしていましたので、今から約50年前の世ではそういう事も異質に見えたのでしょうね。
おまけに家が神戸と加西に有ったり、いけばなの家元というよく分からないような家業。
そのうえ自分で納得が出来なければ、大人の言うことであっても聞かない。
今から思えば学校の先生からも明らかな差別を受けていましたから。

しかしこんな私ですので、そんな事にもへこたれることなく育ちましたけどね。
へへ!まいったか!!

きっと羨ましかったり悔しさの裏返しが、攻撃になっていたのかもしれないです

物心ついたときから中学生までそういう扱いが日常だったので、世の中ってそういうものだと思っていましたが、高校に行って私の環境は一転しました。
私が行った学校は私立の高校だったので、かなり広範囲な地域から生徒が集まっていましたし、家で商売をしているとかそういう子息も多かったですので、色んな価値観や色んな環境の人間がいて、人と違うって言うことが全く特別ではない学校だったのです。
いや言い方が正しくないな。人と違う事こそが価値だと気づかせてくれた学校だったのです。

なのでその時に初めて気が付いたんです。子供の頃の私って大人から差別されたり攻撃をされたり排除されたりしていたんだ~って。
気付くの遅いですよね。(笑)

けれどその時に高校生なりに思ったことがあります。
それは人間という生き物は自分の理解の許容範囲を超える存在には、攻撃を加えたり排除することで自分たちの安寧を得ようとするんだなぁって事です。
私って周りから見ていると自分の思うように生きているように見えるみたいですし、人に攻撃されても全くこたえていないように見えるようですし、子供のころから明日のご飯に困る環境ではなかったですので少しだけ裕福そうに見えていたようですし、そういう事が悔しいから大人たちは私に攻撃をしてきていたのだな~と確証はないけれどそんな風に感じていました。

やっぱり私は、この家とあの両親のもとに生まれて良かったと思う

これまで書いたことで誤解があったらいけないので、あえて書いておきます。
私は自分がこれまでに歩んできた人生を、悲しんだり悔いたりは1mmもしていません。逆に、このいけばなの家元の家に生んでもらえてよかったと思っていますし、あの両親の子供に生んでもらえて本当によかったと思っています。
だっておかげで、人があまりしないような経験をイッパイさせてもらうことが出来ているし、そのおかげで人生本っ当~に楽しいもん。

なんならもう1度生まれ変わることがあったとしても、この家にそしてあの両親の子供に生まれたいと思います。だって絶対に面白い人生が待っているんだもん。

この映画は西野亮廣さんからみんなへのエールです

この映画は、西野亮廣さんから世の中の皆さんへのエールだと思います。

コロナで困っている人へ、人と違う事をして周りから攻撃されている人へ、物事が思うように進まなくて落ち込んでいる人へ、親がいない人へ、子供の頃に受けた誹謗中傷が心に残っている人に、ありとあらゆる全ての人たちに贈られているエールです。

みんな絶対に見に行くべきです。
1人1人これまでに歩んできた人生は違います。なのでこの映画のどこがそれぞれの心に引っかかってくるかなんて私にはわかりません。
しかしこの映画を見る事で、自分自身の中に色々な思いが浮かび、最終的には幸せな気持ちやもう少し頑張ってみようってって思うことが出来るようになります。

是非見に行ってきてください。そして思いっきり涙してきてください。
心が軽く爽やかになってくることが出来ると思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。