いけばな展の生け替えをおこないながら思った、人と違うという事は「価値」だということ
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
現在、「兵庫県いけばな展(神戸会場)」の後期が、絶賛開催中です。ちなみに本日わたくし内藤は、所要のために会場は不在にいたしております。愚息の内藤貴風は会場に終日いるかと思いますので、ご用の際には遠慮なくお声がけいただければ助かります。
さて、一昨日の金曜日の夜に前期と後期の生け替えがあり、その生け替えの様子を見ながら「作品に二つとして同じものがないのと同じように、人間も他人と違うという事は価値なんだ」という事を思ったので、今日はそんなことについて書きたいと思います。
会場内に並ぶ作品に、同じものは2つとしてない
会場内に展示してある作品は、1つ1つ全てが違います。仮に使われている器が同じであっても、使われている材料や生けられている型が違います。同じ材料が使われていても、器が違ったり扱い方が違ったりしています。
なぜそんなに全ての作品が違うのかというと、その理由の一つに「流派による違い」があります。流派が違えば表現に対する考え方や手法が違ってきますので、流派が違うから展示されている作品もそれぞれに違うという事もいう事が出来ます。
じゃあ同じ流派の人は同じ作品を生けられているのかというと、そんなことはありません。同じ流派の人達の作品も全て違うんです。例えば今回の兵庫県いけばな展の後期には光風流から6人が作品を展示していますが、全員違う作品を展示しています。
全く同じ人なんてこの世に存在しない
これはすなわち個性による違いなのです。流派と言う”核”になる部分は同じであっても、材料を手に取った時の活かし方が1人ひとり違います。なぜ1人ずつそんなに違ってくるのか。。。
それは、歩んできた人生が違うから。考え方が違うから。価値観が違うから。好みが違うから。なのです。
私達はロボットではありません。考え方や判断まで全て他の人と同じようになることなどありえません。だって人間だから。もっと言うならば、同じ親から生まれ、同じ親に育てられ、同じものを食して大きくなった兄弟であっても、違いが出てきます。
なんなら一卵性の双子であっても違いがあります。
人と違うということは「個性」なんです。だって顔も全く同じ人はいないですよね。よく似た人はいてもどこかが必ず違います。
みんな同じ顔だったら困りますよね。そう、違うという事は「価値」なのです。
人と違うからこそ、そこが「個性」になるのです。他の人には無いからこそ、その個性が「魅力」になるのです。
他の人と同じという事から「価値」は生まれない
日本人はとかく、他の人と同じような事をする事を尊ぶ傾向が強いです。しかしこれって戦後の教育の間違った側面だと私は思っています。
戦後の高度成長時代やバブルの時代に、会社の言うとおりに働くイエスマンを育てる教育のまさしく遺産だと思います。だって無能な経営者からすると、同じように考え動く人達って扱いやすいですもん。しかしそこからは、魅力的なものは何も生まれてこないと思います。
「魅力」は「個性」です。他の人と違うからこそ「魅力」になる事が出来るのです。自分と全く同じ人しか存在していなかったら「うわ~あの人面白いなぁ」なんて感じることはないですし、魅力なんて感じないですよね。
人と違う事をして嫌われるのを気にされる方もありますが、だからこそ好きと言う方も出てくるのです。
いけばなの作品の様に、人間も1人1人が違っていて当たり前ですし、人と違うからこそそこに魅力を感じる事が出来るんだと思います。そんな事を改めて思った前期と後期の生け替えでした。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。