簡単に済ませようとするから魅力がなくなってゆくのです。掛けた手間がそのもの自体の価値になるのです

こんにちは、内藤正風です。

来週の週末はクリスマスですね。
皆さんプレゼントの準備をしたり、お食事の予約をされたりなさっておられることと思います。
クリスチャンじゃない人までクリスマスを楽しんだり、つい最近まで外国の文化だったハロウインが数年で根付いたりしているのを見ていると、日本人は異文化を取り入れて、自分たちのものにしてしまうのが本当に得意な民族だと思います。

お正月らしさは本当に年々無くなってきているのか

近年よく「お正月が来るような気がしない」とか「お正月らしさが年々無くなっているよね」って耳にします。
しかしお正月は確実に毎年やってきています。
老いも若きも男も女も、北半球も南半球も、忙しくしていようと寝ていようと関係なく、お正月は確実にやってきます。

そこで「お正月らしさ」って何なのかを考えてみました。
お店が1月1日から開店しているからお正月らしくないのでしょうか。ってことは逆にお店が閉まっていればお正月らしいのでしょうか。
あるいはお正月にお客様がお家にお越しにならないからお正月らしくないのでしょうか。ってことは逆にお客様がお越しになられたらお正月らしいなぁって感じるのでしょうか。
わたしはお正月らしさという言葉の「らしさ」にこそヒントがあると思うのです。

「クリスマスらしさが年々無くなっている」なんて耳にしないですよね

お正月の1週間前にあるクリスマスには、「クリスマスが来るような気がしない」とか「クリスマスらしさが年々無くなっている」なんて言わないですよね。

このお正月とクリスマスの位置づけというか扱いの違いって何だろうって思って考えてみました。
年末と年始の違い話ありますが、日程でいうと1週間ほどしか違わないんです。クリスマスは西洋的でお正月は日本的ともいえますが、西洋的なお正月もしようと思えばできますよね。
なのに何故ここまで扱いや位置づけに大きな違いが出てくるのでしょう。ええ、実は決定的な原因があったのです。
それは、”大層にするか” ”大層にしないか” の違いだったのです。

クリスマスのためにどれだけの手間と労力を使っていますか

今年のクリスマスのために、どんな計画や準備をされていますか。

プレゼントを用意するために、以前からそれとなく欲しいモノの情報を集めて、クリスマスに間に合う様に買いに行ったり注文されたのではないですか。
クリスマスに食べるお料理のメニューを考え、材料を揃えてお料理を作る予定にしておられたり、食事に行くお店の情報を集めて選び、予約をされたりしていませんか。
お家にクリスマスツリーやクリスマスっぽい飾りつけなんかもされている方も多い事と思います。
これだけしようと思うとなかなか大層ですよね。

そうなんです。
色んな準備をしてその上でクリスマスを迎えているからこそ、「クリスマスが来るような気がしない」とか「クリスマスらしさが年々無くなっているよね」なんて思わないんです。

お正月の準備には労力をかけなくなっています

ではお正月はどうでしょう。
おせち料理を用意したりしめ縄を飾ったりなど結構準備は行なっていると思うのですが、以前と比べるとその仕事量はかなり減っていますよね。

例えばおせち料理は、昔は年末押し迫った3日間とか2日間に台所に立ってず~っとお料理をして作られていましたが、今ではホテルや料亭のおせちを注文したり、出来合いのモノを買ってきてお重に詰めるだけだったりします。
大掃除も昔は家族総出で子供まで手伝って行なう一大イベントでしたが、いまや大掃除なんてしているお家のほうが少ないのかもしれません。
あるいは年が明けたら、親戚同士の行き来や会社関係のごあいさつ回りなどもあって、着る服を用意したり手土産の用意やお年玉の用意などもしないといけませんでしたが、今や新年のあいさつに来る親戚も取引先もほとんど無い方が多いでしょうから、よそ行きの服を用意したりお年玉をわんさか用意したりすることもなくなっちゃいました。

掛けた労力こそが、イベントを価値あるものにしてくれるのです

クリスマスとお正月の比較すると、大層にすることの大切さと価値が見えてくると思うのです。

どんなに「これは大切なものだよ」といっても、その準備やイベント自体が ”ちょちょいのちょい” で出来てしまうようなものだと、その大切さが伝わらないのです。
しかし準備やそのイベント自体に手間暇をかけたものならば、何も言わなくても「あ~、凄く大切なものなんだろうな。。」ってニュアンスだけでも伝わると思うのです。

「お正月が来るような気がしない」とか「お正月らしさが年々無くなっているよね」って言われている方は、以前と比べると大層されていないので日常の延長戦的な感覚になってしまい、お正月らしさが感じられなくなってしまっているのだと思います。

大切な節目は大層するからこそ、その価値や意味が感じやすくなるのですし、その意味では、掛けた労力がイコール価値や意味になると考えてよいのではないかと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。