明日から始まる「光風流いけばな展」の生け込みを行ないながら思った、人と違うという事は「価値」だということ
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
今日は、兵庫県加西市にあるイオンモール加西北条において「光風流いけばな展」の生け込みを行なってきました。いやぁ~、あっという間の一日で、先ほど帰宅して、ブログを書いています。
そんな今日のブログは、生け込みの様子を見ながら思った、「個性」や、その価値という事について書きたいと思います。
会場内に並ぶ作品に、同じものは2つとしてない
会場内に展示してある作品は、1つ1つ全てが違います。
仮に使われている器が同じであっても、使われている材料や生けられている型が違います。同じ材料が使われていても、器が違ったり扱い方が違ったりしています。
なぜそんなに全ての作品が違うのかというと、その理由は1つです。それは、生けている作者が違っているからなのです。
当然のことですが、皆さん光風流で学んでいる方たちばかりです。中には同じ先生に学ばれている方もおられます。そんな人が集まると皆さん同じような作品を生けられる様になるのかというと、そんなことないのです。
なので今回のいけばな展においても、全員の作品が違っており、同じ作品は無いのです。
全く同じ人なんてこの世に存在しない
これはすなわち個性による違いなのです。流派と言う”核”の部分は同じであっても、材料を手に取った時の活かし方が1人ひとり違います。
ではなぜ1人ずつそんなに違ってくるのか。。。
それは、歩んできた人生が違うから。考え方が違うから。価値観が違うから。好みが違うから。
私達はロボットではありません。考え方や判断まで全て他の人と同じようになることなどありえません。だって人間だから。
同じ親から生まれ、同じ親に育てられ、同じものを食して大きくなった兄弟であっても、違いが出てきます。
なんなら一卵性の双子であっても違いがあります。
人と違うということは「個性」なんです。だって顔も全く同じ人はいないですよね。よく似た人はいてもどこかが必ず違います。
みんな同じ顔だったら困りますよね。そう、なので違うという事は「価値」なのです。
人と違うからこそ、そこが「個性」になるのです。他の人には無いからこそ、その個性が「魅力」になるのです。
他の人と同じという事から「価値」は生まれない
日本人はとかく、他の人と同じような事をする事を尊ぶ傾向が強いです。しかしこれって戦後の教育の間違った側面だと私は思っています。
戦後の高度成長時代やバブルの時代に、会社の言うとおりに働くイエスマンを育てる教育のまさしく遺産だと思います。だって無能な経営者からすると、同じように考え動く人達って扱いやすいですもん。。。
しかしそこからは、魅力的なものは何も生まれてこないと思うのです。
「個性」は「魅力」です。他の人と違うからこそ「魅力」になる事が出来るのです。
自分と全く同じ人しか存在していなかったら「うわ~あの人面白いなぁ」なんて感じることはないですし、魅力なんて感じないですよね。
人と違う事をして嫌われるのを気にされる方もありますが、だからこそ好きと言う方も出てくるのです。
いけばなの作品の様に、人間も1人1人が違っていて当たり前ですし、人と違うからこそそこに魅力を感じる事が出来るんだと思います。
そんな事を生け込みの会場で思ったので、今日のブログで取り上げてみました。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。