「面倒くさい事にこそ価値がある」のだと思います。だって楽だった事なんてほとんど記憶に残っていないですから
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
昨日のブログで、「多種多様な体験こそが、人生を豊かで楽しいものにしてくれる」という事について書きましたが、そのブログを書きながら、「体験って面倒くさい事ほど記憶に残るなぁ」と思ったので、今日はそんなことについて書きたいと思います。
面倒くさい事は、出来るだけ手抜きをしたくなります
最近は何でもかんでも簡素化する風潮が強いように思います。例えばお正月を例に挙げると、お節料理は作らない。注連縄や門松は飾らない。年賀の挨拶は行くことも受けることもしない。などなどまだまだいくらでも挙げる事が出来ます。
手間の掛かる事が面倒くさいというのはよく解ります。私自身も若い時には「面倒くさい事は簡略していったらいいやん」と思っていたのですが、20年前くらいから「面倒くさい事にこそ価値がある」と思うようになってきました。
ちなみにその理由はたった1つ、面倒くさい事こそ「特別」だし「価値」があるからです。
面倒くさかった事ほど記憶に残る
なぜそんな事を思うようになったのかというと、今になって思うと、面倒くさかったようなことほど記憶に残っているからです。
1月ですのでお正月を例に私の記憶に残っている事を挙げると、子供の頃には年末におせち料理を作り始めると、”いりこ” をフライパンの上で弱火で炙るのは私の役割でした。弱火なので結構長時間そばにいないといけないですし、常にかき混ぜ続けていないといけなのに、ついつい他の事に気とられてしまって焦げちゃって叱られるんですよね。
しかしこれも今となっては、母は病気で臥せがちで私が15歳の時に亡くなりましたので、これは母との数少ない特別な記憶の一つです。
他には注連縄も、子供の頃には父を手伝わされて一緒に作っていました。お蔭で、ワラを叩いて柔らかくするところから注連縄の形に作り上げるまで、こう見えてわたし全部1人で出来るんですよ。
ちなみに私が子供の頃には、男は家庭は二の次で仕事が一番という時代でしたので、私が子供の頃に父と顔をあわせる機会って凄く少なかったですが、そんな中でこの記憶は、父と一緒に何かをした数少ない思い出の1つです。
これらどちらの作業も、子供の頃には本当に面倒で嫌でしたが、今となっては良い思い出として記憶に残っています。
豊かな人生とは「沢山の思い出」があること
こういう子供の頃の記憶って、面倒くさかったり手間のかかる事の方がハッキリと覚えているんですよね。楽だった事なんて、残念ながらほとんど記憶に残っていないです。
これって結局その時だけで考えると、手間が少なかったり楽なほうが良いって事になるのですが、思い出という事でいうならば面倒くさかったり手間のかかることの方が記憶に残っているんですよね。
豊かな人生とか楽しい人生って、結局はどれだけ「思い出」があるかって事なんだと思うのです。そして思い出ってすなわち、日常と違うどんな事をしたか、どんな失敗をしたか、どんな面倒くさい事をしたか、しんどい事をどれだけしたかという、「体験」の事なんだと思います。
そう考えると楽をした時間って、特別な体験ではないから記憶にも残らないんだなぁって思います。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。




