鉄板焼きに行って思った「所作の美しさ」と「所作に込められた本質」という事
こんばんは。内藤正風です。
先日、鉄板焼きを食べに行きました。
厚みがある大きな鉄板でお肉や野菜や魚介類を焼いて食べると、本当においしいですよね。
お好み焼きなんかも、お家でホットプレートで焼いたのとお好み焼き屋さんで食べたのと全然味違いますもんね。
お料理の楽しみは ”味” だけではない
先日の鉄板焼きは目の前でシェフが調理をして、一品ずついただくスタイルのお店だったのですが、そのシェフの所作がとても綺麗で思わず見とれるほどでした。
そんな調理をされてる所作を見ながら、わたしは「花手前」を思い浮かべました。
「花手前」とは、お花を人前で生けるときに1つの様式にのっとって生ける手法の事で、光風流では何かの儀式などの時に行なっています。
1つの様式にのっとってお花を生けるという事は、所作の美しさも大切なポイントになるのは言うまでもありません。
決まった通りに所作をすれば良いのではありません
この「花手前」のお稽古をするときに、生徒さん方にいつも言っていることがあります。それは「花手前という様式にのっとって決まった手順通りに出来ていれば良いのではなく、その所作にある本質をしっかりと理解する必要がありますよ」という事です。
手順が決まっていると、どうしてもその手順を覚えその通りに行なうことに目が行きがちです。しかしこの決まっている手順や様式は単なる枝葉であって、その手順や様式の内に込められた本質を知る事こそが大切なのです。
1つの所作には沢山の本質がある
たとえば花手前の最初に”水差しで水を注ぐ”という所作があります。行動だけで言うならば、水差しを手に取って器に水を注げばオッケーですね。
しかしこれでは本質を理解し表すことが出来ていないので、落第点という事になります。
まずお花を生ける前に水を注ぐという行為は、命ある植物を大切にするという事です。すなわち生ける器にも水を注いで、”お花が水から外に出ている時間を少しでも少なくしておこう”という気持ちが所作となっているのです。
そしてお水を注ぐときには、水差しと反対の手には布巾を持ちます。これは”万一にも水を畳や床や台などの上にこぼすことがないようにしています”という気遣いが所作になっているのです。
この時に水差しを持っている手の親指は水差しの蓋にかけているのですが、水を注いでいるときに蓋が落ちないようにという気遣いでもあるのです。
水を注ぐというたったそれだけの所作にも、その見えない部分には色々な思いが込められており、こういう事を理解してその所作を行なっているのと、とにかく手順と型だけを再現しているだけなのとでは、所作から伝わってくるものがまるっきり違ってくるのです。
所作や様式美は全ての事柄に共通する
料理人の所作の美しさ、スポーツ選手の所作の美しさ、お花を生けるときの所作の美しさ、大工さんの所作の美しさ、これらは行なっていることは違っていてもすべて同じことがいえると思うのです。
それは、動きに無駄がなく、流れるように動作がつながっていて、行なっていることにメリハリがあって、美しい。という事です。
花手前も単に型を覚えるという事ではなく、花手前で定められている所作の意味することやそこから得られる本質にまで意識することで、全く違うものが学びとして見えてくるのではないかと思います。
そんなことを思った鉄板焼きでしたが、いや本当に美味しかったです!!!
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。