全てのものが、楽しもうとするかしないかで全く違う印象になります。それは伝統的なモノも同じだと思います

こんばんは。 内藤正風です。

今日12月13日は「事始め」です。
私ども光風流でも創流以来の伝統にのっとって事始めを開催しました。

すみません。事始めを開催しましたが、自撮りは伝統にはありませんーー(笑)

伝統的なものって、なぜ型苦しく感じるのか

こういう古来からの行事って、どちらかというと古臭いものとか、面倒くさいものとかって捉えられがちなのですが、それって実は自分自身でそんな風にしてしまっているのだと最近感じます。

「事始め」自体は日本の古来からあります。それは確かにそうです。12月13日と日も決まっています。しかしだからと言ってすなわちそれが古臭くてめんどくさいというのは極めて短絡的なモノの見方だと思います。
では誕生日はどうでしょうか?
人類がこの世に生まれた時から、誕生日と言うものは存在しています。って事は「事始め」よりも誕生日の方が何倍も古い事柄だと言えます。なのに誕生日は誰も古臭いとか堅苦しいとか誰も言わないですよね。
これって何故でしょう。

この違いは、たった一つだけです。それは、自分で楽しもうとしているかそうでないかと言うことだけです。

楽しもうとするかしないかで、全く違う結果になる

誕生日は放っておいても毎年来ます。伝統的なモノ(たとえば事始め)も毎年来ます。
誕生日ってイベントにしようとしていますよね。誕生日のプレゼント。。お食事。。ケーキ。。その時代時代の感覚でイベントにして楽しもうとしているから面倒くさく感じないんですよね。
かたや伝統的なものは、無理やりにやらされているって感じで、早く終わればいいのになくらいに思われていたりするんです。
この差って決定的ですよね。
片方は楽しむために知恵を絞る。もう片方は早く済めばいいのにって思っている。そりゃあ早く済めばいいのになんて思っていたら楽しくなんて絶対にならないでしょうし、イベントにして楽しさを作り上げることも絶対に出来ないですよね。

イイか悪いかはわからないですが、イベントにして楽しんじゃえばいいんだと思います。もしかしたら不謹慎って言われるかもしれませんが、それはその不謹慎って言っている人の物差しで言われている事なのですから、そんなの気にする必要なんてさらさらないと思います。
だって私から言わせれば、これが王道ですって道を歩んで誰にも見向きされなくなって消えてなくなっちゃう結果になる方がよっぽど本末転倒なのではないかと思うのです。

人が判断する事なんて結局は自分にとって都合のいい判断しかしていないんです。
お金なのか、名誉なのか、虚栄心なのか、自己満足なのか、誰かへの媚なのか、いずれにしろ大多数の人間は自分が損するような事はしません。だって死ぬって解っている判断しないですよね。
そんな程度の他の人の意見や考えに左右されるなんて本当にもったいないと思います。

私はいけばなの全てを、もっともっと楽しむことができるようにしたい

私は”いけばな”の世界と言うものが日常になっているので、一般的な皆さんよりは伝統的なものが身近にあります。だからこそ、もっともっと楽しめるものにしていかないといけないんじゃないかと思うのです。

ってこんなこと書いていますが、今日の事始めのあとには忘年会が有って、一説には忘年会が楽しみで事始めに来られている人も有るとか無いとか。。。(笑)
ええおかげさまで忘年会もむっちゃ盛り上がってきましたよーー!!

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。