光風流新年会の準備報告を聞きながら思った、昔のお正月はなぜあんなに特別なモノだったのかという理由
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ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
今日は、来年1月11日に開催する「光風流新年賀詞之会」の実行委員の皆さんが、現在の進捗状況のご報告にお越しくださいました。
来年から「光風流新年賀詞之会」に名称が変わります
これまで光風流では、毎年新年に「光風流新年会」を開催していたのですが、来年より「光風流新年賀詞之会」と名称を変更することにいたしました。
というのも「新年会」という名称だと、新年にみんなが集まってバカ騒ぎ(宴会)をする機会だと、間違った理解をされる方が居られるので、これではいけないという事で、名は体を表すではないですが会の意味が正しく伝わるように名称変更を行なったのです。
光風流では創流以来、新年会を開催してきています。そして光風流において新年会を開催している意味ですが、華道というような「道」のつくものは、人としての礼敬を大切にしなければならないと考え、年頭に当たっては家元や師匠に新年のご挨拶を申し上げるのが本意になります。がしかし、生徒さん方がご自分の都合の良い日時にそれぞれ別に年頭のご挨拶にお越しいただくようになりますと、先生も生徒さんも大変になりますので、日時を決めてその機会を設け、新年会という名称で開催をしてきたのです。
ところが近年、この新年会という名称の印象から新年宴会と意味の取り違えをなさる方が出てこられて、飲んだり食べたりする機会なんて行かなくてもいいやんという風に思われる方や、新年早々からバカ騒ぎしてどうするのという風に思われる方が、幹部の先生にまで出てこられる始末で、このままではいけないという事から、「光風流新年賀詞之会」と名称を変更することにしたのです。
子供ながらに新年会は特別な機会だと感じていました
幼稚園や小学校低学年の頃には「光風流新年会」の意味なんて全く分かっていませんでしたが、毎年新年早々に光風流のいろんな支部の先生方が集まってこられるイベントで、皆さん普段とは違うお洒落をなさっていたり正装をなさってお越しになられていたので、特別な機会だという事は子供ながらに感じていました。
そんな中、この新年会の時には親の横に座らされて、お花を生けられているところや、父の新年の言葉や生徒さんの年始の挨拶など一連の次第を見ているのは、じっとしているのが何よりも苦手だった私には苦行の時間以外の何物でもなかったですが、そのあと皆さんが楽しそうにご飯を食べたりお酒を飲んだりなさっている様子を見ながら、そういうオンとオフのメリハリが特別な時間や機会になっているんだろうなぁという理解もしていました。
お正月に特別感を感じなくなったのは、大層しなくなったからだと思います
お正月って特別感が本当になくなりましたよね。特に最近では、世の中全体的にお正月ってあまり楽しみにされていないのかなぁって感じます。ちなみにここで言っているのは冬休みやお正月休みとしてではなく、お正月という行事としてという意味です。
私が子供の頃はお正月ってムッチャ楽しみでした。まず12月31日は一年中で唯一遅くまで起きていても親に叱られない日でした。紅白歌合戦を見て深夜には近隣のお寺の除夜の鐘が聞こえてきて、深夜0時には神戸の港に停泊している船が汽笛を一斉に鳴らすんです。そんな中で ”ゆく年くる年” と言うテレビ番組で日本各地のお正月の様子を見ながら知らない間に寝落ちしているっていうのが恒例でした。
そして前日深夜まで起きていたにもかかわらず1月1日には早朝3時とか4時に叩き起こされて、天皇家において新年の祭礼として行われている ”四方拝” に習って三宝を頂き、その後にお雑煮を食べていました。
正直にいます。これが子供ながらに嫌で嫌で(笑)。
そりゃそうでしょう!前日夜中1時前くらいまで子供が起きていたのに、早朝3時とか4時とかに起こされるんですよ。で、寝不足で脳ミソなんて全然動いていない中で、三宝に乗っている勝栗とかをお箸でとって懐紙に乗せる作法を毎年させられて、そこから全然お腹なんて空いていないのにお雑煮を食べさせられるんです。
まあ普段ならば、”お腹いっぱい” とか ”いらない。。。” とか言ってプーたれているのでしょうが、このお雑煮食べないとお年玉もらえないんですから、そりゃ頑張りますよね。そして親もそんなこちらの気持ちはお見通しで「男ならお代わりをしないといかん」とかって言われて、お雑煮2杯完食してお年玉をもらってまた寝るっていうかんじでした。
けれどだからこそ子供ながらにお正月って日常とは明らかに違う大きな節目だという事は理解をしていました。
特別感をなくしてしまっているのは、自分自身
こういうのを振り返ると、お正月ってもっと特別感を演出してそれぞれのお家の一大イベントにする必要があるのかなぁって思います。一大イベントって言ってもどこかに遊びに行くとか旅行に行くとかではなく、お家でって事です。
日本の古くからのモノがなんか古臭くて面倒くさいもののように受け取られているのは、イベントとして楽しんでいないからだと思うのです。
正しいとか間違っているとかではなく、○○家ならではのイベントみたいなそう言うものが大切なのでしょうし、そう言う事が思い出として残って家族や家を守ってゆこうという思いに自然に結びつくのではないかなあとも思うのです。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。
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