光風流65周年記念研修で思った、友達や仲間が喜ぶ顔を見るのは何故こんなに嬉しく感じるのかということ
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
光風流は今年創流65周年を迎え、その記念行事として一泊二日で金沢に行ってきました。そんな中で、「人が喜ぶ姿を見る喜び」という事について改めて考える機会になったので、今日はそんな事についてブログを書きたいと思います。
喜びには2つの種類がある
私は ”喜び” には大きく分けると2通りがあると思っています。1つは自分目線の喜びで、もう一つは俯瞰的な目線での喜びです。
例えば今回の記念研修でいうと「自分目線の喜び」と言うのは、自分自身が色々な事を見たり聞いたり体験したりして「楽しい」と思ったり「嬉しい」と思ったり、満足して嬉しい!という喜びの事になります。
そして「俯瞰的な目線での喜び」と言うのは、お誘いして参加してくださった皆さんや自分の仲間や先輩や後輩が、今回の金沢に行った中で様々な体験をして喜んだり楽しんだりされている姿を見て、その事によって喜びや嬉しさを感じるという事です。
喜びはその人の成長のステップによって違ってくる
さてそんな中、先に書いた「自分目線の喜び」と「俯瞰的な目線での喜び」という2種類の喜びですが、これらの違いがどこにあるのかと考えてみると、その人の成長のステップによって変わってくるように私は感じています。
そのステップでいうと、まず最初は「自分目線の喜び」から始まります。なにかが自分で出来て嬉しいというように、自己成長や自己達成から得られる喜びや満足になります。
そしてその先に、自分の周りの人が喜んでいる姿を見る事から得られる喜びを感じることが出来るようになるステップがあり、その段階に進むことが出来る様になるのです。
例えを変えると、自分が自転車に乗れるようになった時の喜びよりも、子供が自転車の練習を行ない乗れるようになった時の方が、心に来る思いが沢山あったと思いますし、嬉しさも大きかったと思うのです。
すなわちこの2種類の喜びは、そういう事なのだと思います。
私が教室でお稽古の指導をさせて頂くのが大好きな理由
私が教室で生徒さんのお稽古を指導させていただくのが大好きなのも、生徒さんが作品作りで試行錯誤しながら完成に近づき、出来上がった作品を見て喜んでおられる姿を拝見すると、とても大きな幸せを感じる事が出来るからなのです。
もちろん私自身で生けた作品が出来上がった時の嬉しさもあります。しかしそれ以上に、お稽古にお越しの方が作品をイメージし準備し試行錯誤を繰り返しながら最終的に作品が出来上がって喜ばれているお顔をリアルタイムに間近に見ることが出来るのは、私自身がとても大きな喜びを感じる事が出来るのです。
そんな事を金沢の2日間の様々な場面で感じ、改めて考える機会になりました。とにもかくにも、私自身、楽しさを心の底から感じると共に満足感にあふれた時間になりました。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。