人が喜ぶ顔を見るって、なぜこんなに嬉しく感じるのか考えてみた

こんにちは。内藤正風です。
今日は移動のバスの中でブログを書いているのですが、最近は一人の時には音声入力を使う事が多くなっているので、スマホで手入力するのが段々と面倒くさくなってきつつあります。
ちょっと前までは、どこででも文字とか打てて仕事も出来るので便利だなーと思っていたのが、たった数ヶ月でこんなに変わってきちゃうんですから世の中の移り変りと言うか進歩のスピードは本当にすごいなぁと改めて感じます。

"花より団子"の光風流

先ほどまで写真スタジオで”いけばな作品”の写真撮影の立ち合いに行っていました。今日の撮影は来年のカレンダーの作品と、光風流の流誌に掲載する作品の撮影を行ってきました。

まあいつものごとく「花より団子」なのは言うまでもないことですが、お2人ともとても素敵な作品写真が撮影できてとても喜んで頂く事が出来て本当に良かったです。

喜びには2つの種類があると思う

私は”喜び”には大きく分けると2通りあると思っています。1つは自分目線の喜びで、もう一つは俯瞰的な目線での喜びです。
いけばなで例えるならば、「自分目線の喜び」と言うのは、”いけばな”の作品を生けて、自分のイメージ通りの作品が出来て満足したり嬉しい!という喜びの事で、「俯瞰的な目線での喜び」と言うのは、お弟子さんが一生懸命に作品作りをされて自分のイメージ通りの作品が出来上がって満足したり喜んだりされている姿を見て、喜びを感じるという事です。

そしてこの2種類の喜びにはレベルというか、ステップがあると私は思っています。
まず最初は「自分自身の喜び」から始まります。なにかが出来て嬉しいというように、自己の成長や達成から得られる喜びや満足ですね。
そしてそのステップの先に、自分の周りの人に喜んでもらえる事から喜びを感じることが出来るようになるステップがあると思うのです。

自分が自転車に乗れるようになった時の喜びよりも、子供の自転車の練習を行い乗れるようになった時の方が色んな思いがありましたし、嬉しさも大きかったですよね。
まさにそういう事なのだと思います。

私が写真撮影が大好きな理由

私が写真撮影が大好きなのも、普段の作品作りと違う環境でお花を生ける楽しさというだけではなく、作品を作り、手直ししながら写真が出来上がっていく過程の中で、生けられた方の喜ぶ顔をリアルタイムに間近に見ることが出来ると言うのが、大きな要素としてあるんだなーと改めて思いました。
今日もお二人の笑顔を見ることができて本当に楽しかったです!!!

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。