学びというと発信する側に目が行きがちですが、実は受け手の成長こそが大切であり、自分が成長している限り学びに終わりはありません

こんばんは、内藤正風です。

今日は朝から夜まで光風流本部いけばな教室でお稽古を行ないました。
マスク着用や窓全開換気などをはじめとする感染防止を行なっているのは言うまでもなく、緊急事態宣言下なので完全予約制+極少人数で開催しています。

とはいえ、この「完全予約制+極少人数」が、皆さんにご不自由をおかけして申し訳ないなぁ。。。なんて思っていたのですが、人数が少ないのでしっかりお稽古ができて嬉しいとか、予約して時間が決まっているので時間の無駄が逆に無くて良いとか、思いのほか皆さんから好評なので驚いています。

 

物事の理解には繰り返すだけではなく、アンテナが立つことも重要です

いけばなのお稽古では、お花を生ける知識や技術を学んで頂くために色々な説明やお話をさせて頂いたり、実際にお花を生けて頂いたりして理解を深めていただきます。
しかしどんなに何度も同じことを行なっても、理解したり習得したりすることが出来ない場合があります。それは、理解や習得に必要なレベルに生徒さんが達していない場合です。

たとえば自転車に乗れない人がオートバイの運転の仕方を学んでも、乗って走るのは無理ですよね。
こちらがどんなに一生懸命にお伝えしても、受け手の側の生徒さんが必要なレベルに達していないと理解どころか何を言っているのかすらわからないなんて事にもなりかねないのです。
なので受け手側の準備が整って初めて伝わるし理解が出来る様になるという事です。
すなわちこれが一般に言われる「アンテナが立つ」ってことです。

アンテナは1つではない

テレビで放送を見ようと思うとアンテナが必要です。BSを見ようと思ったらBSのアンテナが必要です。しかしBSのアンテナがあってもCSは見ることが出来ません。

テレビの電波は私達の身の周りを一杯飛んでいます。しかし日常生活の中でその電波を私達が感じることは全くありません。
しかしアンテナが立てば、そのアンテナで捕まえる事が出来る電波の放送は見ることが出来るようになります。

この状況ってまさしく、「機が熟さなければ理解することはできない。知ることはできても。」ということなのです。

人は経験や学びに応じてアンテナが変わってゆく

いけばなのお稽古を始めて1年の人は1年の人なりの理解をされるのが普通です。5年目の人は5年目の人なりの理解をされます。
お弟子さんを教え始めて間が無い人はその人なりの、お弟子さんを10人教えている人はその人なりの理解をされます。
すなわち経験や学びに応じて、その人のアンテナは変わってゆくという事なのです。

同じ話を聞いても毎回新しい発見があるというのはまさにそう言うことです。受け手の人の経験やレベルや今おかれている状況が以前とは違うので、同じ話を聞いていても心に残る事が違ってくるという事です。

理解に終わりはない

そんな風に考えると、自分が成長すればもっと高いレベルでの理解をすることが出来るようになるという事です。

学びというと発信する側についつい目が行きがちですが、実は受け手の成長こそが大切であり、自分が成長している限り学びに終わりはないという事でもあるのです。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。