菊の匂いと百合の匂いから思った、スタンダードは不変のものではなく時代とともに移り変わるものであるということ

こんにちは、内藤正風です。

今日は朝から夜まで本部いけばな教室でお稽古を行いました。
完全予約制+少人数で、コロナ対策もしっかり行ないながら開催しました。

そんなお稽古中にふと思ったのです。「あれ?いつから変わっちゃったのだろう。。。」って。

匂いは記憶と結びつく

お花にはそれぞれに色や形だけではなく匂いがあります。
今日の教室でも来られている生徒さんが使われている材料によって様々な匂いがあったのですが、ハイブリットリリーを使われている生徒さんのところで、その香りから私はお葬式のイメージが浮かんできました。


で、たまたまその横でオオギクを使われている生徒さんがおられたのですが、その香りからはお葬式のイメージには結び付きませんでした。

 

そうなんです。今、葬儀場では仏花にユリがよくつかわれているので、私の匂いの記憶にはユリ=お葬式の香りになっちゃっていたんです。

しかしこれって昔からそうではありませんでした。
職業柄、若いころからお葬式に参列する機会は同世代の人よりは多かったですが、私が若いころにお葬式をイメージする香りはキクだったんです。だって若いころにキクの生花を生ける機会にはいつも「葬儀場の香りだなぁ。。。」って思っていましたから。

スタンダードは不変ではないし、記憶は上書きされる

ここでハッ!としたのです。スタンダードって変わらないもののように思いがちです。たしかに短期的には変わらないのですが、数十年というスパンで見たときにはスタンダードは移り変わっているのです。

江戸時代までは髷を結っているのが普通でしたが、明治時代以降になると髷は普通ではなくなりました。
”いけばな”も元々は男性が中心になって行っていましたが、明治以降の婦女子への教育や昭和に入ってから花嫁修業と”いけばな”が結びついたことにより、女性のもののように考えられるようになり、今は男性や女性という枠組みから解き放たれるようになっています。

そしてこのようにスタンダードが移り変わることによって意識や記憶は上書きされ、思い込みとして個々の記憶や人々の思いに定着していってしまうのです。

これが普通だという思い込みこそが危険

普通とかスタンダードって、人間が勝手に作り上げているだけなのです。もっと言うならばその時の人たちが都合のいい様に決めているだけなんですよね。

先ほどのお葬式のことでいうならば、元々は葬儀には菊を使っていました。もちろんこれにも理由があり、お花の中で菊は格式高い存在なので死者に敬意を払うにふさわしいと考えられたということと、菊は匂いが強いので死体の臭い消しにも最適だったということなのです。
しかし時代が現在に近づくにつれ、お葬式はお家で行なっていたものが葬儀場で行われるようになり、併せてお葬式が派手になってゆく中で、仏花もより豪華で値段のはるものを使うようになり、ハイブリットリリーのような豪華で値段のはるものがどんどん使われるようになり、お葬式の香りも変化してきたのです。

これ完全どちらが正しいとか間違っているということではなく、どちらもがその当時の人間が自分たちにとって都合が良い様に決めてきているってことですよね。

普通って結局は、その時代の人間が勝手に決めて世の中の多くの人がそうしているものがそう呼ばれているだけなんです。
なのでこれが普通ですとか、普通はこうなのだからっていわれて意思決定を左右されるって、極めて危険なことに他ならないなぁって改めて考える機会になりました。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。