過去を思うということは未来に思いを馳せるという事とイコールなのです。なぜならそれは”始まりを知る”という事でもあるのですから

こんばんは。内藤正風です。

今日は4月19日に開催する「光風忌」というイベントの準備を行いました。

「光風忌」と言うのは、光風流を創始した流祖と、これまで光風流を支えて来てくださった物故者の先生方に感謝をすると共に懐かしむ機会として開催しています。

人は忘れる動物である

光風流は多くの先生方のおかげでこれまで歴史を積み重ねてくることが出来ています。しかしこの歴史と言う時間の流れは残酷な側面もあわせもっていて、亡くなられた先生方の記憶や思い出もどんどん薄れさせていってしまいます。

”人は忘れる動物である”ということは、19世紀のドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスによって証明されているくらいなのですから、忘れるという事は人の本質なのだと思います。しかしだからといって何でもかんでものべつまくなしに”忘れてしまっても仕方ないやん~~”っていうのは良くないなぁと思うのです。

特に私は、光風流が創流された時に目指したものやその当時の先生方の熱い想いは、歴史を積み重ねてゆく時代の流れの中で風化させてしまっては絶対にいけないと思っています。

忘れるからこそ、思い出す機会が大切なのです

まあこんな事を書いている私ですが、日頃から先祖を特別に敬いお祀りしているのかというと決してそんな事はありません。どちらかというと”仏さんは放っとけさん~”って感じに近いくらいです。(笑)
しかし忘れてしまっているのかというとそんな事は無く、何かの機会には父や母を思いますし感謝もしています。そんな私なので余計に思うのかもしれませんが、思い出すきっかけになる節目や機会は絶対に意識して設けるのが望ましいと思っています。

なのでこの「光風忌」も私の中では、流祖を思い出す機会であり、活躍してくださった先生方を懐かしむ機会として絶対になくしてはいけないと思っています。
ただここで言う思い出したり懐かしむというのは、私の中では未来に思いを馳せるという事とイコールで結びつくものでもあるのです。
なぜならば、流祖や先生方が光風流を創始した時に目指したもの、それは未来を向いた思考でした。なのでその皆さんを思い出したり懐かしむということは、未来を向いた思考を改めて感じるという事に他ならないからなのです。

光風忌はお祀りする機会ではなく、みんなで一緒に未来を思う機会なのです

「光風忌」という言葉にある”忌”という文字から、単なる法事の様に思われる方も多いですが、このイベントは単に亡くなられた人をお祀りする機会ではなく、亡くなられた先生方をネタに今の私達が集い語り合い懇親を深めるものであると共に、みんなで一緒に未来を妄想する機会だと思っています。

そう言う私の考えを理解してくださっている役員の先生方が、今回の「光風忌」でも、参加してくださった皆さんが懇親を深めあう事が出来る素晴らしいネタを用意してくださっていますし、未来を妄想する事が出来る素敵な舞台を用意してくださっています。

楽しい未来は妄想から始まります。みんなで一緒に妄想しましょうねーー!!

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。