「いけばな」は古臭いものではなく、”挑戦し続ける 最先端 の芸術” なのです

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

光風流いけばな展まであと2週間になりました。

「いけばな」って聞くと、古臭いとか堅苦しいという印象を持たれる方がおられます。がしかし実は、いけばなの実態は古臭くも堅苦しくもなく、逆に最先端だといえます。

いけばな=古臭いものとか堅苦しいものという風に思われてしまう一つの要因に、約700年の歴史があるという事、そしてその中には「伝承」の側面と「伝統」の側面があり、これらを間違えた解釈をするとそういう理解になってしまうと思うので、今日はそんなことについてブログを書きたいと思います。

”いけばな” における「伝承」は手足を縛る規制ではなく、その人の「核」になるものです

まず ”伝承”とは、昔からの「決まり」や「教え」を正しく学び、正しく後世に伝えるという事になります。

”伝承” には、これまでにいけばなの世界で培われてきたノウハウが詰まっています。すなわち「おばあちゃんの知恵袋」とか「虎の巻」と言い換えることができます。なのでこの「伝承」をしっかりと学べば、困ったときの助けになりますし、大きな間違いを起こしたり周りの人に迷惑を掛けたりするような事が無くなります。
しかしここで大切なのは、この「決まり」や「教え」と言うものを、手足を縛るもののように捉えてしまうと、窮屈なものになってしまうという事です。

”決まり” や ”教え” は物事の「核」に他なりません。つまりヒントやアイデアの土台になるものです。この核を中心にしながら、そこに自分なりの肉を付けてゆけばいいよという存在なのです。
したがって”決まり” や ”教え” を「核」として捉え役立てることが出来るようになれば、”決まり” や ”教え” という「核」に自分なりの創意工夫を加え、自由自在にお花を楽しむことが出来るようになるという事なのです。

”いけばな” における「伝統」は、新しい模索を積み重ねてきた足跡です

先にも書いたように、いけばなは約700年の歴史があります。これは言いかえると、700年間その時々の華道家が新しい事に挑戦したり模索してきたということに他なりません。

今までになかった事や、新しい花形を発表した時には、斬新で最先端のものに他なりません。しかしその斬新で最先端のものも、その後50年100年と経っていくと、新しかったものが古典と呼ばれるようになります。
つまり新しく生み出されたものが時代という砥石で磨き上げられ、一時的な流行りや、そうでもないものは消えて無くなっていき、良い物だけが残ってゆき、そてが積み重なってスタンダードと呼ばれる存在になってゆくのです。
つまりこれが「伝統」という事にほかならず、言い方を変えれば、それぞれの時代時代の華道家が挑戦と取り組みを行なってきた「足跡」に他ならないのです。

新しい挑戦無くして未来は無い

挑戦する事を忘れたところに、新しい一歩は無いのです。そして、新しい一歩の無い所には、その先に続いてゆく伝統は存在しないのです。つまり新しいことに挑戦したり変革する事を恐れていては未来は無いのです。
変えてはいけない事がある。変わらなければならない事がある。だから「いけばな」は、”挑戦し続ける最先端の芸術である” と言えるのです。

そんな ”挑戦し続ける最先端の芸術である” いけばなを「光風流いけばな展」でご覧いただきますと共に、是非お楽しみいただければ嬉しいです。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。

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