「孝行のしたい時分に親はなし。さればとて石にふとんも着せられず」と、ならないために
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
先日、お世話になっている方へ年末のご挨拶に伺った時に、親の話になりました。私は母を無くして48年、父を無くして28年に多分なるはずなので(苦笑)、「そんなになるんだなぁ」と、改めて思う機会になりました。
明治生まれの父親
私は、父が高齢での子供だったので、街を歩いていると親子に見られたことはなく、確実に「いいねーおじいちゃんと一緒にお出掛けしてもらえてーー」って言われていました。(笑)
そんな父は明治生まれの人でしたので、今の世の中の一般的な感じの父子とは全く違う親子関係でした。まぁイメージとしては、皆さんがテレビとかでご覧になられる明治時代や大正時代を取り上げられたドラマで描かれているような父親像と言うのが一番想像して頂きやすいのかなぁと思います。なので厳格かつ厳しい存在でしたが、父には叱られて殴られた経験はありません。母親にはよくお仕置きされましたが。(苦笑)
とはいえ父に殴られた事は無いですが、子供の頃は父はとても怖い存在でした。ちなみにこの怖いというのは、今思えばその厳格さや存在感だけで迫力が有ったのだと思います。
もっと父といっぱい話をしたり関わっておくべきだったと思う
そんな感じの父子でしたので、父らしく子供らしくというか、そこには超えてはいけない一線が有ると思っていましたので、父が晩年になるまで気軽に話をする感じではありませんでした。
まあ晩年には「親父~」って感じで話をしたり、軽口をたたく様にはなっていましたが、それも亡くなる4、5年前くらい以降でしょうか。
まあ今から思うと、もっと父と色んな話をしておけばよかったなぁと思いますが、実際に今その環境になったとしても、近所話もお互いにしないし、テレビの共通話題もなく、結局はその当時と同じく「いけばな」の話くらいしか共通話題は無いのかなぁとも思います。
孝行のしたい時分に親はなし
まさに「孝行のしたい時分に親はなし」って事です。ところでこの言葉には続きが有って、「さればとて石にふとんも着せられず」と続きます。この歌でいう石とは墓石の事をさしていて、瀧瓢水(たきひょうすい)と言うこの歌の作者が、母親の臨終に立ち会えず、お墓参りをした時に詠んだ歌だそうです。
親の方が子供よりも先に老いるし亡くなります。そんな事分かっているのですが、一緒にいるとついつい文句を言ったりしてしまいがちなのが親子なのかなと思います。しかし「あーもっと親孝行しておいたら良かったなぁ。。」なんて思わなくていいように、親孝行をしておくのが絶対に良いと思います。
あとから、もっとこうしておけばよかったなんて思っても後の祭りです。出来うる限りの事をして、万一に親孝行しすぎたって後悔する事が有ったとしても(まあないでしょうが(笑))、”しなかった後悔” よりは ”した後悔” の方が絶対に良いと思います。
これからクリスマスやお正月で家族が集まる機会も多いと思います。そんな機会をうまく生かして、チョットでも楽しい時間を皆さんも私も過ごせたら良いなぁと、そんな事を思う機会になりました。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。




