”試行錯誤こそが次代の扉を開く唯一の方法” だという事を改めて感じる機会になった「光風流西播支部いけばな展」

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日は朝から「光風流西播支部いけばな展」のお祝いに伺ってきました。朝一番から沢山の方がお越しになられていましたので、私は早々に退散してまいりました。
とはいえ、西播支部の皆さんと色々なお話などさせて頂き、とても楽しい時間だったのは言うまでもありません。

そんな中で、「新しい挑戦をしなければ未来はない」という事を改めて思ったので、今日はそんな事についてブログを書きたいと思います。

試行錯誤こそが次代の扉を開く唯一の方法

私は、今回のいけばな展の会場としてお世話になっている「光洋製瓦」様で、さまざまな取り組みをなさっておられる様子を見ながら、これこそが進化進歩のあるべき姿であり、私自身もこうでなければならないと改めて思う機会になりました。

そもそも「瓦」というと、日本古来の存在であり、その形や使い道は決まりきったものしかないように思われがちですが、光洋製瓦様は瓦の新しい可能性を模索し、瓦を使った様々な機会への出店だけではなく、その実践というか実験の場として、カフェや宿泊施設なども運営なさっておられます。
時代というものは、世の移り変わりや価値観の変化によって行われているのですから、その中で対応できるようにするためには、試行錯誤こそが進歩進化には不可欠な事だと思うのです。

自論に都合の良い根拠をいくら並べても、未来を生み出すことはできない

先にも書きましたように、世の中は常に移り変わっています。例えば最近の住宅では「和室」や「床の間」が設けられることは極めて少なくなってきました。戦後の日本の高度成長時代やバブルの頃には、公団住宅にまで床の間が設えられるのが一般的でしたので、そのころから比べると「床の間」がなくなって異常な事態だという事が出来るでしょう。
しかしこの判断はもの凄く短期的な視点に基づくもので、正しい判断とは言えないと私は思うのです。というのも、もう少し長い目で見たら全然違う景色が見えてくるからです。つまり正しい判断をしようと思うならば、第二次大戦後という期間ではなく、大正明治、江戸、室町平安と遡って物事を見て考える必要があると思うのです。

ハッキリ言います。床の間が一般のお家にもれなく設えられるようになったのは、戦後の高度成長時代以降の話です。つまり床の間が大半のお家に設えられていた時代のほうが特異な時代だったのです。何なら畳の部屋もそうです。江戸時代初期までは、お殿様がおられるお城ですら板の間だったのです。畳なんてお殿様がおられる場所に2~3枚と、お殿様の家族が住む「奥」くらいにしか使われていなかったのです。

つまり、人は自分に都合の良い部分だけを取り上げて、自論の根拠とする場合が多々あります。しかしそれは極めて危険なモノの見方でしかなく、昔を取り上げて根拠にするのならば、古(いにしえ)の昔からの日本を見つめた上で根拠にするべきではないかと思うのです。

思いつくことに取り組み、検証と試行錯誤を繰り返すことこそが未来につながる

日本は建国以来2685年の歴史を積み重ねてきています。そんな中で積み重ねてこられた歴史は様々な人の挑戦によって積み重ねられ、そして進歩進化してきているのは紛れもない事実です。だからこそ今を生きている私たちは、思いつくことに取り組み、検証と試行錯誤を繰り返し続けなければならないと思うのです。

いけばな展の作品作りを通じて、自己挑戦や自己成長に取り組まれている西播支部の皆さんや、光洋製瓦様の行なわれている取り組みを拝見させていただきながら、そんな事を改めて考える機会になりました。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。