人の成長は「不」のある環境こそが良いキッカケになるので、自ら「不」を求めることも必要だと思います

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

一昨日は光風流本部いけばな教室のお稽古日だったのですが、お越しになられた先生とお話させていただいたことについて、光風流の皆さんとも共有したいので今日のブログで取り上げたいと思います。

先日の勉強会で残った花材をどうされていますか

先日、光風流で学ばれている皆さん限定の展覧会形式の勉強会を開催したのは、私のブログをお読みくださっている皆さんはご存じの通りだと思います。展覧会形式と言うくらいですからモデル作品を展示して開催するのですが、今年は生花(せいか)でカキツバタを取り上げましたので、この作品を担当された皆さんはカキツバタの葉が沢山手元に残っていることと思います。

このカキツバタの葉を皆さんどうされているでしょうか。
バケツの肥やしにしてしまったのではもったいないですし、一つの種類の葉っぱが沢山手元にあるなんてことも少ない機会だと思いますので、ぜひ自己成長のきっかけとして役立てていただきたいなぁと思うのです。

いけばなは”お花”を使わなければならないものではありません

”いけばな” と聞くと多くの方が ”お花を生ける” と思いがちです。しかし古典の生け方には、枝もの(木)だけで生け上げる作品もあるのですから、「いけばな=お花を使わなければならない」という事ではないのです。

そんな中カキツバタの葉っぱがいっぱい手元にあるのでしたら、この葉っぱだけでお花を生けてみるという事も新たなチャレンジとして面白いと思うのです。
たとえば水盤にカキツバタの葉一式で盛花を生けてみる。壷にカキツバタの葉っぱだけで投入にしてみる。日頃そんなことしたことある方の方が少ないと思うので、この機会に遊び感覚でやってみると、何かしらの気づきやアイデアが生まれてくると思います。

人間は得意な土俵にとどまろうとする生き物です

人間は自分が好きだったり得意なことをしたいと思う生き物です。なので放っておくと、ついつい同じことばかりを行なうようになります。それはそれで何度も繰り返すことによって熟練度を増すという意味ではよいことだと思います。しかしながら未経験な事や不慣れなことを避けようとしてしまうと、自分自身の新しい広がりや成長を阻害してしまうようになり、自己成長の弊害になってしまう側面も出てきます。

なので自分で意識して、使ったことのない花材に挑戦する、使ったことのない器を使ってみる、これまでとは全く違う手法を取り入れてみるという事が、新しい自分を作り上げる手っ取り早い方法だと思うのです。

機会は生かさないともったいない

同じ花材を見ても、人によって見立て方が違ってきます。なぜそんなことが起こるのかというと経験の違いがその原因となります。
10杯のお花を生けた方よりも50杯のお花を生けた人の方が、多くの経験を通じて発想も豊かです。なので50杯よりも100杯、100杯よりも1000杯生けたことのある人の方が色々なことを知っているといえるでしょう。
あるいは美術館や博物館で色々なものを見ていたり、演劇やオペラや歌舞伎というようなものも、その人の感性の養分となっているのも間違いありません。

つまり、人よりもより沢山の、そしてより多岐にわたる経験こそが同じ花材を前にしても様々な見立てをして、色々な活かし方をできるようになるという事なのです。

カキツバタの葉っぱだけで盛花を生けてみる、あるいは投入を生けてみる、そんなことができる機会を生かさないともったいないと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。