完璧なんかを目指すから成長が無くなるし、自己否定が始まっちゃうのです

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日は12月30日、いよいよ押し迫ってきました。世の中は御用納めも過ぎて迎春準備真っただ中の方が多いことと思いますが、私は御用納めも関係なく、仕事も全く収まっておりません。
ま、毎年の事ですので、殊更に焦りもしておりません。(笑)(笑)(笑)

なんであれ、お正月はやってくるのです

クリスマスが終わると街は一気にお正月モードに変わりますし、何かわからないけれど気忙しいという強迫概念が心の中に芽生えてきたりします。
12月下旬になると「しないといけない事が多すぎて追いつかない」とか、「寝る間もなくなってしまうー」って言葉をよく聞きますが、これって実は自分でそう思い込んでいるだけなんだと私は感じています。

例えば、大掃除はしなくてもお正月は来ます。年賀状を出せていなくても、お正月は来ます。
もちろん大掃除が出来ていないよりは出来ていた方が良いです。しかし精一杯やって出来ていないのならば、仕方ないですよね。だって出来ていないことを悔やんでも、大掃除をしたことにはならないのですから。

完璧なんて目指すから自己成長が無くなる

日本人って基本が真面目だから、皆さんどうしても「完璧」を目指しちゃうんですよね。ちなみにここで言う完璧は、「自分がこうでなければならないと勝手に決めつけている事」ですし、それを達成しようとする気持ちがあまりにも大きくなりすぎて、達成出来なかったときに、自分はダメだ。。みたいに自己否定になってしまう方が多いようにも思います。

もちろん自分で目標としたことが、出来なかったよりもできたほうが良いのは言うまでもありません。けれどそもそもなんですが、完璧ってこの世に存在しているんでしょうか。
お掃除の完璧って堂宇な状態の事を言うのでしょう。ホコリひとつ落ちていない状態の事ですか。物が何もなくなっている状態の事ですか。どちらも絶対無理ですよね。だってお掃除が終わった瞬間からホコリは生まれています。モデルルームじゃないんですから生活していれば物は絶対にあります。

そんな風に考えると、自分が勝手に決めつけている完璧なんかを指針にしていること自体が無意味だと思うのです。

昨日の自分よりも成長しているか、そして明日の自分は今日よりも成長できるように行動しているか

そう考えると、目指すべきは完璧ではなく「最上」を意識した方が良いんじゃないかなぁって思うのです。
これ、お花を生ける時も同じだと思います。
仮に自分で完璧だと思う状態にお花を生ける事が出来る人がいたとします。その人は自分は出来ると思っているので、それ以上の高みを目指すことはなくなってしまいます。つまり成長が無くなってしまうという事に他ならないのです。

精一杯頑張った今日の自分は褒めてあげればよいと思います。しかし明日の自分が今日の自分と同じだった場合には、それは恥ずべきことですし自戒するべきことだと思うのです。

昨日よりも何か1mmでも成長した今日の自分。そして今日の自分よりも明日の自分が1mmでも成長していることが出来るように行動する。それこそが一番大切なことだと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。

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