手段が目的になってしまう事ってよくありますが、これはその作業を何のために行なっているのかを意識していないことに原因があります

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日は寒いですね。明日明後日と寒くなるという予報ですし、今日先輩と話をしている中で昨年の明日が、雪で広い範囲が交通が乱れていたという記録があったという事なので、毎年1月のこの時期は気温が低くなるとともに雪になる時候なんだなぁと思い、二十四節気の「大寒」は正にそうなんだな~と改めて感じています。

手段がいつの間にか目的になっている

昨日、光風流の役員の先生と話をしている中で、手段がいつの間にか目的になっていることが多々あるというお話をしました。

例えば「いけばな展」は、展覧会という機会を通じて技術の上達を図るとか、新しくお稽古にお越し下さる方を誘うというように、いけばな展を手段として目的を達成する機会になります。
しかしいけばな展を定期的に開催していると、いつの間にかいけばな展を開催することが目的になってしまって、手段と目的が入れ替わっているようなことが起こったりします。そしてその結果どういう状態になるかというと、いけばな展を開催することが大儀になってしまったり、やらされている感が満載になってしまったりという弊害ばかりが前面に出てきてしまうようになってしまうのです。

検証は常に行なう必要がある

ホームページなども、うっかりしていると、目的と手段が入れ替わってしまうという事が起こりやすい存在だと私は思っています。

ホームページはそこに掲載している情報を常に更新し続けなければなりません。なので定期的に写真を差し替えたり、文章を更新したりする必要があります。ところがこの更新という作業は定期的に行うものになりますから、更新することが目的になってしまう可能性がとても高いものの一つだと思います。
はっきり言いますが、写真を更新することは目的ではありません。ご覧いただいた方に光風流の花の魅力を伝えたり可能性を感じていただくというようなことが目的であって、写真の更新はそのための手段でしかないのです。

なのでこういう定期的かつ事務的な作業については、常に注意をしなければならないと私は思っています。
この作業は何のために行なっているのか。
誰に見てもらうためにしているのか。。
見てもらった人に何を伝えどんな行動を起こしてもらいたいと思っているのか。。。

手段は時とともに変化し続けなければならない

私は、手段は常に変化し移り変わってゆくものだと思っており、これは例えば、大工さんを例に挙げればわかりやすいと思います。
くぎを打つのに、昔は金づちを使っていました。しかし今は電動ドライバーを使う場面がほとんどだと思います。すなわち時代によって道具は進化し、便利な道具は常に変化してゆくという事です。
あるいは木を切るときに、太い材木を切るときと細い材木を切るとき、あるいは柱を切るときと板を切るときと、道具の大きさや種類が変わりますよね。
大工さんが使う金づちや電動ドライバーやのこぎりは、その作業をするために必要な道具です。すなわち家を建てるという目標のために必要な道具という手段なのです。なのでその作業の種類によって使う道具は変えたほうが便利だし作業効率も上がるという事なのです。

手段はその時と場合によってどんどん変化してゆかなければならないものだと思います。そしてその時と場合に応じて手段を変化させてゆくためには、まず目的を明確にし、何のためにこの作業を行なっているのかということを常に意識し続けなければ、知らない間に手段が目的と入れ替わってしまうようなことが起こるのだと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。