”いけばな”は花を生ける事が目的ではなく、”いけばな”を通じてどんな体験をすることが出来るかが大切だと私は思っています

こんばんは、内藤正風です。

今日は朝から事務にまみれたり、午後から屋外でゴソゴソしたら汗にまみれたりしながら、夕刻からはいけばな作品の写真撮影に立ち会ってきました。

”いけばな作品”と”写真のいけばな作品”は全く別物です

いけばな作品の写真撮影って言うと、お花の作品を生けて写真を撮るって思っておられる方が多いと思いますが、実はこれって大きな間違いで、「いけばな作品」と「写真のいけばな作品」は全く別のものになります。

すなわち、そこにある”いけばな作品”を写真に収めるのは「記録写真」としての撮影になります。
例を挙げれば、○○いけばな展に展示した作品の記録ってことです。

しかし写真のいけばな作品は、写真になった状態で完成するもので、写真がすなわち作品ってことになります。

同じいけばな作品でも完成の姿は全く違います

一見すると違いが無いように思われるでしょうが、この両者には決定的な違いがあります。
それは二次元と三次元の違いです。

通常いけばな作品は実際に生けられた姿をご覧いただくのですから、三次元で判断してゆきます。
右に出た枝と左に出た枝だけではなく、手前と奥の広がりも私たちは認識して見ているのです。

しかし同じいけばな作品であっても、写真のいけばな作品ではカメラのレンズを通して写されたものが完成形になるので、二次元の作品になるのです。
しかしここで勘違いしてはいけないのは、奥行きや立体感が必要ないという事ではありません。
二次元の中でいかに立体感を感じるように作品作りを行なうかという事が不可欠になるのです。

写真のいけばな作品作りを通じて得る学びがあります

このように「写真のいけばな作品作り」では、日頃の作品作りとは違う視点や技術が必要になるのですが、私はこの経験を光風流で学ばれている皆さんに1人でも多く体験してもらいたいと思っています。
それはいつもと違う視点で物を見る事や、実際にその技術を使ってみることが出来るからです。

視点を変えることから、より広い視点を持つことが出来るようになりますし、知識や技術が広く深くなるので、これらの全てを日頃の作品作りの中でもフィードバックして活かすことが出来、写真撮影を通じて大きな成長の機会となるのです。

いけばなは花を生ける事が目的ではなく、いけばなを通じてどんな体験をすることが出来るかが大切なのです

ほとんどの方が、”いけばな”はお花を生ける事が目的だと思われています。しかし私は”いけばな”において一番大切な事は、どんな体験をすることが出来るのかだと思っています。

お花を綺麗に生けるという事は知識や技術の習得でしかありません。そこだけで終始してしまっては手慰みのレベルから抜け出ることは出来ないのです。
いけばなを通じて学んだ知識や技術を、日常生活や仕事などにおいてどのように生かすのか。あるいはいけばなを学ぶ過程の中で日頃できない経験をどれだけすることが出来るのか。ということにこそ”いけばな”の本文があると私は思っています。

いろんな体験を皆さんにしていただくことが出来、その経験を通じて人生を楽しむことが出来るようになったり、豊かな人生を送ることが出来るようにこれからもかんばってゆきたいと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。