「原爆の日」に思った、コロナ禍の今、いつまでも戦後に捕らわれている場合じゃないということ

こんばんは。内藤正風です。
今日は朝から晩まで本部いけばな教室でガッツリとお稽古しましたよ~~。

あ~暑かった~~。
窓を開けてエアコンをかけているので死ぬほど暑くってってわけではないのですが、窓閉めきって冷房するのとは圧倒的に冷え方が違います。まあ当然の事なんですけれどね。(笑)

反省だけでは進歩も発展もない

そんな夏真っ盛りの今日、8月6日は「原爆の日」です。
広島市では、「広島市原爆死没者慰霊式 並びに平和祈念式」が行なわれ、テレビなどでご覧になられた方も多い事と思います。
私はテレビが無いので、ネットニュースで写真で見ただけなんですけどね。

これまでの日本は、どちらかというと反省ばかりしていたように思います。戦争への反省、核兵器への反省、平和を大切にできなかった反省。。。
反省はとても大切だと思います。
自分がしてきた行動や発言を振り返り、良い点悪かった点などを分析し、その中で特に自分の言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけるからこそ、新しい歩みがあるのだと思います。

ただしかし日本は反省ばかりをし過ぎじゃないかと私は思っています。
だっていくら反省が大切だからと言って、反省しているだけでは次のステップには進むことが出来ないからです。
けれど学校で何か悪い事をしたら反省文を書かされたり、仕事で失敗したら始末書を書かされたりすることが日常的ななかで成長してくると、反省が大切なだけの日本人になっちゃうのかもしれませんね。

過去は捕らわれるものではなく、何を学ぶかが大切だと思う

過去というのは、捕らわれるものではないと私は思います。
だって過去に捕らわれ縛り付けられるから、いつまでたっても新しい方向に目を向けることが出来ないし、一歩を踏み出すことが出来なくなってしまうのです。

いや、反省は大切です。
冷静に自分を見つめる。悪いことは悪いと認める。ごめんなさいと素直に謝る。これは絶対に不可欠です。
けれど悪い事をしたからと言って、いつまでも責め続けられたり謝ったりしているだけでは、新しい時代を作ることは出来ないと思うのです。
過去に反省し、過去から学び、その学びを生かして新しい一歩を踏み出すことこそが、本当の意味での反省だと思いますし、過去は未来に結びついてゆく唯一の方法だと思うのです。

コロナ禍の今、戦後に捕らわれている場合ではない

何度も言います。反省は大切です。しかし反省をしているだけではその経験を生かして前に進んでゆくことは出来ないのです。
ましてやコロナ禍の現在、世の中が大きく変化していく中で私たちは反省だけをして足踏みをしている場合ではないと思うのです。

私はこれからの数年は、第二次大戦後に日本が経験した以上に大きく世の中が変わってゆくと思っています。
価値観も変わります。常識も変ります。世の中の仕組みも変ります。すなわちこれまでに積み重ねて来ていることが何の意味も価値も無くなってしまうかもしれないのです。
そんな現在を私はまさに「戦後」だと思っています。

そんななかで日本がしっかりと地に足を付けて進歩してゆくことが出来るのか、自分が関わっている地域や団体や仕事が後世に生き残っていくことが出来るのか、そんなことがこの2~3年で答えが出るような気がしています。
今このコロナ禍によって起こっている戦後をちゃんと乗り越えるためには、いつまでも前の戦後の反省だけに終始している場合ではないと思うのです。

そんな事を思った75年目の原爆の日でした。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。