「阿呆の考え休むに似たり」と言うことわざがありますが、とにかく考えたことを行動に移すのが何よりも大切だと思います
こんばんは、内藤正風です。
今日は光風流本部いけばな教室で終日お稽古日だったのですが、今日はお越しになられた皆さんと色んなお話がいっぱいできてとても濃い1日になりました。
ご家庭のお話を聞かせて頂いたり、いけばなの作品についてのご相談を受けたり、来年度から新しく支部長に就任される先生と未来の事について話し合ったり、なんかあっという間に22時半になっていました。
ことわざ「阿呆の考え休むに似たり」ってご存知ですか
「阿呆の考え休むに似たり」と言うことわざを聞かれたことはありますか。
”阿保の考え”の部分は、”馬鹿の考え”と言われている場合や、”下手の考え”と言われている場合などありますが、いずれにしろ、字面を見ただけでも「あんまり良いことを言っていないんだろうな~」って想像をすることは出来ますよね。
まあ簡単に言えば、
アホな(実力のない人や、その道に詳しくない人のこと)人が、いくら考えても大した事は思いつかないので、休んでいるのと同じようなものだってことです。
ちなみに私は、この言葉は大きな間違いだと思っています。
何か考えて行動しなければ、可能性すら生まれないです
私がこのことわざは「大きな間違い」と思う理由は、アホであろうと賢い人であろうと関係なく何かを考えてそれを行動しなければ何にも生まれません。
そしてもう一つ付け加えるならば、そもそも行動しなければその考えが良い考えなのかそうでないのかなんて絶対に解らないと思うのです。
どんなにアホだとしても、アホはアホなりに一生懸命に考えて行動すれば、その中から一歩づつ経験を積んだり学びを得たりしながら進歩の速度は遅くとも、確実に一歩ずつ進んでゆくと思います。
そもそもアホってどんな人の事?
ところで、そもそもアホの定義って何でしょう。
勉強の出来る出来ないでしょうか。
だったら東大法学部以外はみんなアホって事ですよね(笑)
あるいは実力の低い人?
人の実力を自分と比べて笑う人は、世の中には上には上が居る事を知るべきでしょうね。
モノを知らない人?
ある世界において第一人者だとしても、今までに携わった事も経験したことも無い事は知らなくて当然ですね。
それよりも恥ずべきは、知らない事があることを理解せず自分が一番だと思っている事だと思います。
こんな風に考えると、世の中の人は全て「アホ」な部分があるってことではないでしょうか。
結果だけで判断するのは大きな間違いです
結果が良いからオッケーで、結果が思わしくないからダメだっていうのも、視野の狭い見方であり判断だと思います。
仮にいま行っている事の結果が思わしくないとしましょう。
けれど原因と思われる事柄から改善点を見い出して手当をし、良い結果を出せたら、最初の思わしくなかった事は途中経過でしかなくなるのです。
すなわち、途中で思うようになっていない時期もあったけれど、現在は良い結果が出ました!って事ですよね
極端に言えば、良い結果が得られるまで思考錯誤を繰り返してやり続ければ良いんです。
たったそれだけです。
良い結果を導き出す事が出来るのは賢い人ではなく諦めの悪い人だと思います。
だって結果が出なかったとしても、行動する事で可能性の扉は開かれるのですから。
そして開いた可能性の扉の中に入るためには、行動するしか方法は無いのです。
なので私はこの言葉は
「アホも賢い人も、行動しない者の考え休むに似たり」
に替えたいと思うのです。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。