ヒマワリの実の作品を見ながら思った、良い種を蒔けば良い結果が、悪い種を蒔いたら悪い結果がその後の自分の身に起こるという事
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
昨日の私のブログで、ヒマワリの実を用いた作品の紹介をさせて頂きましたが、このブログを書きながら種ってとにかく蒔かないと芽は出ないんだよなぁ。。。って思ったので、今日はそんなことについてブログを書きたいと思います。
「自分で蒔いた種」という言葉があります
「自分で蒔いた種」って言葉がありますよね。何かあった時に「自分で蒔いた種だからしょうがないわな~」って使われる言葉ですね。まあ悪い事が起こった時に使われることが多い言葉で、要するに、自分できっかけを作って招いた悪い結果や悪い事態の事を言う表現ですね。
ちなみにこの言葉にはその後に続く文言があって、「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」と言うんです。
「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」っていうのは、我が身に起こる全ての事は、自分の過去に言ったことや行動が元になってもたらされたものである、と言う意味のことわざなんです。
どんな種を蒔いたのかという事が大切です
悪い事が起こった時にだけ「自分で蒔いた種だから仕方がない」なんて言っていると、この言葉の本質に到達することはできていないってことです。「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」で初めてその意味を成すんですよね。つまり良い種を蒔けば良い結果が、悪い種を蒔いたら悪い結果がその後の自分の身に起こるという事なのです。
人間はどうしても「今」ばかりに目が奪われがちです。だって今我が身に起こり、目の前で繰り広げられているのですから。しかし今起こっている事の原因は、過去の自分の言動によって起こっているんです。
私は恥ずかしながら若い頃にはこんな事は全く気付いていませんでした。というか、自分の身や周辺で起こる悪い事は全て人が悪いって思っていました。誰それが悪い。誰それのせいだ。誰それが私の言うようにしないから。今にして思うと厚顔無恥にも程がありますよね。お恥ずかしい限りです・・・。
良い種を蒔けば良い結果が、悪い種を蒔いたら悪い結果がその後の自分の身に起こる
改めて言うと「馬鹿か?」といわれそうですが、「良い種を蒔けば良い結果が、悪い種を蒔いたら悪い結果がその後の自分の身に起こる」。これって真理ですよね。
若いからとか高齢だからとか、男だからとか女だからとか、そんな事には一切関係ない正しい道理です。
仏教に「利他」という言葉があります。これは辞書などを見ると ”自己の善行の功徳によって他者を救済すること” とあります。この言葉だけ聞くと、えらい高尚で難しい事のように思われるでしょうが、平たく言えば要するに、自分が好きな友達に喜ぶ事をしてあげて相手が本当に喜んでくれたら、相手も貴方に何かしたいと思ってくれるよって事ですよね。
ただここで間違えてはいけないのは、相手を喜ばしたら何か見返りがあると思ってしたことは、自分の欲が先にあるので善い行いとは言えないってことです。相手からの見返りに関係なく、相手の喜ぶ顔を見ることができるのが自分も嬉しいっていう心から生まれた言動、これが「利他」と言う事なのだと思います。
私自身、聖人君子じゃないですし、何なら出来の悪い子供でしたから、若い頃からきっと悪い種をいっぱい蒔いてきてしまっていると思います。がしかし、これはもうどうしようもないので、せめてこれからはこれまでに蒔いてしまっている悪い種の何倍もの良い種を蒔く事が出来るようにしなければなぁと思うのです。今更ながらですが(笑)。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。