利己=悪、利他=善と思われがちですが、行き過ぎた「利他」も ”悪” でしかない

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

今日は朝から光風流本部いけばな教室のお稽古日だったのですが、その中で役員の先生と話をしていて思った、「行き過ぎた利他は悪である」という事について書きたいと思います。

人は得になる事を求め、損になる事を嫌う生き物

私は人という生き物は「得」になる事を求める生き物だと思っています。だってだからこそ、これまで人類はその歴史を積み重ねると共に、進化進歩する事が出来ているのですから。
何故そう考えるのかというと、人の本質が「損」を好む動物だったと仮定しましょう。ちなみに損にも色々ありますが、その1つに自己犠牲が挙げられると思うのです。そして自己犠牲の中でも一番大きなものは、「命を惜しまない」という事になるでしょうから、人類が皆こぞって進んで命を落とそうとする状態だと、人類なんて間違いなく ”あっ” という間に絶滅しちゃっていると思うからです。

では逆を考えてみましょう。「得」にも色々なものがありますが、その中には、手間や手順をし少しでも減らしてより大きな成果を上げるという事を考えたからこそ、人類の進歩につながっているのは間違いありません。
つまり、これまで人類が進歩を重ねながら歴史を積み重ねることが出来たのは、人類が「得」になる事を求めるという本質を持っていたからに他ならないからだと私は思うのです。

人が他の生き物と違うのは「理性」を持っているという事

ここまでお話しすると、自分に「得」になるものばかりを求めていたら、そんなもの世の中おかしくなっちゃうじゃないか!って思われる方もあるでしょう。
確かにその通りです。
この話にはもう1つ重要な点があります。それは、人には「理性」という他の生き物にはないものが備わっているという点です。

理性とはすなわち物事を道理的に考えたり行動することで、感情や本能の赴くままに行動しないという事です。
なので私は人の本質が「得」になる事を求めるという存在であると共に、「理性」をもって思考し行動することが出来る存在であるとも考えています。

「利他」を人のためと考えるからおかしくなる

さて、こういう話をすると「利己」と「利他」という言葉を思い浮かべられる方もおられると思います。
「利己」とはすなわち自分だけの利益を求め、自分さえ良ければよいという事ですね。いくら人の本質が損を嫌い得を求めるものだとは言え、理性をもって思考し行動することが出来ていないという事ですから、結局は人の信頼を失い利己を追い求めるほど自分の損になってしまうという事はすぐにご理解いただけるのではないかと思います。

では「利他」というと、自分のことは後回しにして他人に利益を与えるという風に考えられる方が多いかもしれませんが、私はこれは少しおかしいと思っています。だって自分は不幸せになっていいけれど周りの人には幸せになってほしいだなんて、言葉や考え方としては美しいですが、そんなことに永続性なんて持たすことは出来ないと思うからです。
なので私が考える「利他」とは、自分も含めた「みんなのためになる」という事だと思うのです。

行き過ぎた「利他」には永続性も発展性もなく、大切なのは「みんなのためになる」です

だれか1人がしんどい思いをして、周りの人たちが楽をできるなんて状況を私は「利他」とは思いません。
たとえば食べるものがないときに、誰か1人が食べ物を我慢して周りのみんなが飢えをしのぐ。一見美談に聞こえますが、これって究極的には1人を餓死させてみんなが生き残るって事に繋がりますよね。

これ私ども光風流でもよく有るパターンなんです。「自分一人が全部背負い込んで、なんとかすればよい。」という行動です。この行動、一見すると美談のように感じる方もおられるかもしれませんが、この行動には1mmも「利他」も「美談」も存在していないと私は思うのです。

一例を挙げれば、誰か1人が背負い込んで、何かを夜も寝ずに行なったとします。その時にどんな状態が起こっているのか、具体例を挙げたいと思います。
まず第1に、高校生や大学生じゃないのですから、夜寝ずに何かを行なっても、良いパフォーマンスを発揮する事なんて絶対にできません。なんなら頭がボーっとしてきて、間違いだらけの状態になってしまったりします。
第2に、そんな様子をご家族がご覧になられていて、心配なさることはあっても喜ばれることは絶対にありません。
そして第3に、良いパフォーマンスを発揮できずに作り上げているのですから、間違いがあったり足りないところがあったりして、それをサポートするために周りの役員さんがハラハラドキドキなさるだけではなく、そのリカバリーに動かないといけなくなります。
それだけではなく第4に、周りの役員のご家族も、その様子を見ながら心配をなさらないといけなくなります。
加えて第5に、そもそもが無理な事を行なっているのですから、そんな中で作り上げたものの出来が良くなったりするはずはなく、グダグダなものが出来上がってしまい、そこに参加してくださっている光風流の皆さんの満足度は下がってしまい、迷惑をかけるようになってしまいます。

どうでしょう。何か1つでも「利他」が存在していますでしょうか。
責任感が強い行動だと仰られる方もあるかもしれませんが、ハッキリ言ってそんなもの責任感のはき違えでしかないと言わざるを得ないですし、「私はこんなにやっている」という悲劇のヒロイン的な自己満足でしかないと言わざるを得ないと思うのです。だってこんなにも沢山の方に迷惑を掛けている行動が、利他とは絶対に言えないです。

「誰か1人や一部の人だけが得をする」とか「誰か1人が我慢すればよい」とか、そんな考えからの行動には永続性もなければ発展性もないのです。
なので大切なのは「誰かが犠牲になったり我慢したりしなければならない ”利他” 」ではなく、自分も含めた「みんなのためになる ”利他” 」でなければならないと私は思っています

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。