年を越したからと言って何かが変わるわけでもないけれど、人間は節目があるからこそ助けられているのです

こんばんは、内藤正風です。

今日は私が加入しているある会の年内最後の会合がありました。定期的に開かれている会ですので、年内最後と聞くと何となく感傷的な気持ちになりますね。

年を越したからと言って何かが変わるわけでもないけれど

1年が終わるといっても、乱暴に言うと月が替わるだけですから、10月が11月になるのと何ら変わりない事だと言えばそういう事なんだと思います。
1年の始まりがあれば終わりがある。月の始まりがあれば終わりがある。そして1日の始まりがあれば終わりがあるのです。毎日の積み重ねが1か月になり、毎月の積み重ねが1年になる。しかしこういう考え方をするとケジメも節目もなくなってしまって、ただただ無為に時間を重ねているだけになってしまいかねないと思うのです。

これって実は、いけばなも同じことが言えます。
日々のお稽古を積み重ねるという事はとても大切です。しかしお稽古のためのお稽古を続けていると、だんだんお稽古自体がグダグダになってきてしまうのです。
この1番の原因は、目標も何もなくただただお稽古を積み重ねていることにあります。

ケジメや節目があるから ”メリハリ” を持たせることが出来る

私はいけばなのお稽古だけをいくらしていても、長続きしないし成長も見込めないと思っています。
だって、自分が学んでいる知識や技術を生かす機会がないのに、「うぉ~もっともっと上達するぞ~」なんて中々思う事できないですよね。

お家にお客様が来られるので喜んでいただけるお花を生けようとか、いけばな展があるからそれに向かって頑張って上達しようとか、目に見える発表の機会があるからこそ、それを目標にしたり研鑽に励む動機にすることが出来るのです。

すなわち目に見える節目があるからこそ、お稽古にメリハリが生まれるとともにお稽古の動機になるし、そのことが成長や上達の原動力となるのです。

人間は節目があるからこそ助けられている

新しい年を迎えるという考え方って本当に素晴らしいなぁと思います。だって気持ちを簡単に切り替える事が出来るんですから。

思う様にならない状態の中にいる人は、年が改まるのだから気持ちも切り替えて。。って思う事が出来ます。想定したとおりになった人は、年が改まるんだから浮かれていずに気持ちを引き締めてって思う事が出来ます。
これ、年が改まるという感覚が無かったら、こういう意識にはなかなかなりにくいですよね。

こういう事を考えると、節目って大切だし絶対に不可欠なものだなあと思います。
節目があるからこそ目標とすることが出来る、節目があるからこそ気持ちを切り替える事が出来る、節目があるからこそ人が集まるキッカケになる。人間って節目があるからこそ助けられているんだなぁとつくづく思います。

最近はお正月を特別なものとしない人が増えてきているように思います。しかし、お正月を特別なものとして取り扱うからこそ、日常の中に大きな節目を設ける事が出来るのですし、その大きな節目があることによって気持ちを切り替えたり目標とすることが出来るのだと思います。

節目があることによって助けられたり救われたり楽しむことが出来たりするのですから、お正月をはじめとする節目って、もっとチャンと大切にしたほうが良いなぁと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。