節目を大切にするという事は、メリハリのある日常生活を送る事が簡単にできるようになるという事です

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

昨日の事始めの私の挨拶の中で、節目を大切にするという事は人生の指針を得る事という話をしましたので、今日はそんなことについてブログを書きたいと思います。

日本には季節ごとの節目が沢山あるのはなぜか

毎年12月13日は事始めという日になります。そしてこの事始めは、この日から新年を迎える準備を始める日という意味があります。
なので事始めを知っていれば、12月13日を目安にして「そろそろ日ごろお世話になっている方への年末のご挨拶に伺わないといけないなぁ」とか、「そろそろお部屋の片づけとか大掃除を少しずつ始めないとなぁ」という、日常生活の中での指針として役立てる事が出来るのです。
そして日本にはこういう節目がとても沢山あり、例えば一番有名で大きなものとしては五節句がありますし、二十四節気や雑節というようなものもあります。
ではなぜ日本ではこういう節目が沢山あるのかという事を考えたときに、日本がコメ作りを基本とした国造りを行なってきたからだと思うのです。

コメ作りと桜は、とても深い関係にあります

日本人は桜が大好きですよね。桜といえば花見。老若男女問わず、みんなのテンションが上がります。
これって、桜の花の美しさや散り方などいろんな要素がその原因にありますが、私はやはりコメ作りと大きく関係していると思うのです。

桜は「サ」が田の神様の事を言い、「クラ」は神様のおわす場所の事を言うという説があり、田の神様がやってきて花を咲かせて稲の種をまく時期を教えてくれているという風に考えられ、桜の開花がコメ作りの中では大きな役割を果たしていました。
そしてこの田の神様がやってきて花を咲かせてくれるので、その神様を迎えもてなすために桜の木の下で料理や酒を用意したのがお花見の由来だという説もあります。
なので花の咲いた木の下でお花見をするのは桜だけというのも、納得できるのではないでしょうか。

加えて日本人は古来より神と一体化するという事を神事の1つとしてきました。お正月なんてまさにその代表で、お正月にお箸の両方が細くなったものを使いますが、あれは人間が食べる一口一口は神様も一緒に召し上がっているという事であり、あのお箸を柳箸(やなぎばし)と呼ぶのは、本来は魔除けの力のある柳の木で作られているという事からきており、そもそもお正月とは神事に他ならないのです。

つまりお花見とは田の神様をおもてなしするとともに、その力をいただく神事に他ならないのです。

いけばなに携わっているからこそ、果たせる役割があるのです

事始めやお花見を例に挙げましたが、日本の古来から伝わる節目というのは、五節句であれ二十四節気であれ雑節であれ、すべてがコメ作りを基本とした生活をしてゆく中での指針として役立つものばかりなのです。
節目を古臭いものと考えたり面倒くさいものと捉えるか、あるいは季節を楽しみながら生活をしてゆく指針としてとらえるかで、全く違った考え方や豊かさが出てくると思うのです。

いけばなはお花を素材として作品を作ります。なので花を素材としているという事は、こういう季節感に一番近いところにいる存在だということが出来ると思います。なので私たちこそが身の回りの皆さんに、節目の価値や楽しみ方をシッカリと伝えてゆくことこそ大切だし、使命だと思うのです。

折角の人生、一度しかない人生、楽しまなければ勿体ないですよね。

 

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。