サムネイルが表示されず ”中身が何かわからないシェア” から学んだ、興味を持ってもらえなければ誰にも読んでもらえず、存在していないのと同じになってしまうと言う事

こんばんは。
いけばなの光風流家元 内藤正風です。

昨夜書いたBlog「遠くの友達が関西に来た時に、時間作れないー?って声をかけてもらえるのは、本当に嬉しいです。」を今朝Facebookにシェアしたら、サムネイルが全く表示されなかったんですが、「まあいいかぁ~」ってそのままにしていたら、イイネの数も読んでくださった人の数もむっちゃ少なくて、ショックを受けています。。。(泣)

 

やっぱり、タイトルや写真って大事ですよね。
だってこれじゃあ、何書いてあるのか判んないですし、何よりも興味をそそらないですもんね。。。

どんなに良いものや価値があるモノでも、相手の人に興味を持ってもらえなければ無いのと同じになっていまう。

私のBlogが価値あるかどうかは置いておいて(笑)、相手の人に興味を持ってもらう事が出来なければ、読んでもらう事すらありません。
これって、いけばな展や教室も同じことだと思います。
どんなに素晴らしい作品が展示されていても、いけばな展に興味を持ってもらえないと誰にも見てもらう事が出来ません。
どんなに良いカリキュラムで内容のあるお稽古していても、その事が皆さんに伝わっていなければ、その魅力あるお稽古をしている事自体が無いって事になっちゃいます。

自分の目線で見て、こんなに価値が有るんだ、こんなに良い事をしているんだ、っていくら思っていても、相手の人がそれを知って下さったり理解して下さっていなければ、ただの自己満足にしかならないのです。

自分目線は自己満足しか生み出さない

自分目線っていうことは、独りよがりってことです。

たとえば「こんなに良い事をしている」っていうのは、私はこんなに良い事をしているのに。。。っていう自分の満族や喜びを言い表しているのであって、相手の人にとってどんな風に良い事なのかという視点になっていないです。
「充実した内容のカリキュラムでお稽古していただきます」っていうのも、私はこんな素晴らしいカリキュラムを用意しているよっていう自分目線ですし、もっと言うならば内容は充実しているのが当然だし特徴があるのが当然ですよね。
なのにその部分を殊更に取り上げて「こんな素晴らしい」と言われても、それは自己満足以外の何物でもなく、相手の人から見た時には「ふうううううう~~~ん」で終わっちゃうのが当然です。

相手の人に伝えようとする努力の大切さ

相手の人にとって価値ある事が魅力ですし、それが興味を持っていただける唯一の事だと思います。

自分目線で相手に薦めるのは、言うなれば冒頭に書いた ”中身が何かわからないBlog” と同じですし、そんなものをいくら読んで読んで---って言っても誰も興味を持たないですよね。

そんな事を思った、サムネイルが表示されないBlogシェア事件でした。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。