「年齢を重ねる」という事と「老い」という事を、同じ事だと思われている方がありますが、私はこの両者は全く違う事だと考えています
ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。
私はいけばなを生業としています。なので教室でいけばなの指導をなどもさせて頂いているのですが、お稽古にお越しになられるたびに「老い」という事についてお話になられる先生がおられるので、今日は「老い」という事について、私見をブログに書きたいと思います。
「歳を重ねる=老い」ではない
私は「老い」あるいは「老ける」ということは、年齢を重ねるという事とは全く違うことだと思っていますし、その人の総合的な能力が下がってゆくという事とも違うと思っています。
その理由は、お花を生けている中で、年齢を重ねる事で腕力が弱くなったりしてくる反面、歳を重ねたことによって今まで感じなかった事を感じる事が出来るようになったり、今まで見えていなかったものが見えるようになってきたりする部分もあるので、「老い(老ける)=人としての総合的な能力が下がる」ではないと私は思っているからです。
では私が考える「老い」「老ける」ということの定義ですが、どういう場面でそういうことを感じているかというと、次の2つのうちのどちらか一方でも該当した場合です。
1つ目は、物事への興味を失う。(特に新しい事に対する興味)
2つ目は、柔軟性を失う。
なので、まだ70歳代なのに「老けたなぁ・・・」と感じてしまう方もおられますし、逆に80歳を超えておられてもそんな感じが全くしない方もおられます。
いつも何かに面白がっていることこそが「老け」ない秘訣です
1つ目の「物事への興味を失う」と言うのは、言い換えれば ”面白がる気持ちが無くなる” と言う事です。
例えば「私パソコン解らないから~」って言われる方が有ります。これって解らないのではなく、解ろうとすらしていないという事です。
解るようになろうとしていない事の何が問題かと言うと、そもそもパソコンでどんな事が出来るのかすら興味を持ったり面白がったりすることが出来なくなっていると言う点です。なのでここで大切なのは、パソコンを使いこなせるかどうかという事ではなく、面白がっているかどうかなのです。
だって面白がっていれば、自分では使えなくても何とかしたいと思ったら、誰かに頼むとか、自分で高齢者のパソコン教室に通うとか、誰かを雇うとか、いくらでもできる方法はあるのですから。
そしてここからが問題だと私は感じているのですが、新しいものに興味を持つことが出来なくなったり面白がることが出来なくなってくると、先のパソコンの例でいうならば最初は「私パソコンわからないから」っていう言動になります。そしてその次のステップでは拗ねる様な言動になります。「私のわからない難しい事ばっかりしている」とか、「どうせ私は。。。」みたいな感じです。
こうなっちゃうと、自分の言動が他の人に悪影響や迷惑を与えるようになってしまっている事にすら気づく事が出来なくなってしまわれるのです。
そもそも新しいものは、若かろうと高齢であろうと分からないのが普通です。だって今までに無かった存在なのですから。ただそこで面白がったり興味を持ったりするからこそ、一歩を踏み出すことが出来ているだけなのです。
なので私は、いくつになっても面白がることこそが大切だと思っています。
自らの思い込みを自分で壊そうとする
2つ目の「柔軟性を失う」というのは、自分の思い込みを絶対に正しいものとして、人の言うことに耳を貸さなくなると言う事です。
時代はどんどん移ってゆきます。それは正しいとか間違っているという事ではなく、時代が変われば好みや価値観も移り変わってゆくという事です。
例えば10年前までは携帯電話が一般的でしたが、今はスマホが一般的になっています。なのに「スマホみたいな訳の分からないものを持っている」といくら言っても、それは完全に今の時代が見えなくなっているって事に他ならないのです。
その結果、今、日本の中高年の間では、LINEが連絡手段の主流になっています。が、スマホを使っていない方はこのLINEを使う事が出来ないので、そういう方は確実にそのグループやコミュニティーにおいて情報弱者になってしまいますし、その事によって浮いてしまったり孤立してしまったりする可能性も高くなってしまいます。
自分の得意な土俵や陣地から一歩踏み出すことこそ、若々しさの秘訣です
自分の得意な土俵や、自分の陣地にずっといれば楽です。しかしそれは「老い」の第一歩に他ならず、魅力的な年の重ねかたをすることは不可能になってしまいます。
私は思います。年を重ねる=老いや老けるということではありません。光風流の先生方には、いけばなを通じて色んなことを面白がったり興味をもっていただき、いつまでもカッコよくてシャレオツなお爺ちゃんお婆ちゃんでいてもらいたいと心より願っています。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。
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