「いけばな展」の作品作りは、自分の全てを注ぎ込むからこそ楽しさと満足感が得られるのです

こんばんは。
いけばなの光風流家元 内藤正風です。

今日は本部いけばな教室で終日お稽古三昧でした。
来月8月26日(土)~27日(日)に開催する「光風流いけばな展」の作品の準備がそろそろ本格化してきて、そのお稽古が中心になってきつつあります。

いけばな展の作品作りは、結構前からスタートします

「まだ一か月以上も前やん~!!」って思われる方も多いと思いますが、作品によってはもっと前から準備に取り掛かる人もあるのです。
いまお稽古に来られているのは、いけばな展に展示する作品を実際に生けるわけではありません。
作品作りのためのイメージを固めていったり、作品を生けるのに必要な技術を身につけたり、必要な器や材料などの手配をしたりする作業になります。
まあ言うなれば、作品を作るための段取りっていう段階でしょうか。

いけばな展に作品を出展する人が楽しむための2つのポイント

いけばな展の時に私がいつも皆さんに話させて頂くことがあります。
それは、「自分を良く見せようとしない。」ということと、「楽しむ」と言う事です。

人はどうしても自分を大きく見せたいと思ったり、カッコよくとか素敵に相手に思われたいと言う「欲」をもちます。
チョットくらい大きく見せたり、良いカッコしても、もとが知れているから大した違いもないのにね(笑)
これって実は、いけばなでも同じ事があります。

日頃からお稽古を生み重ねて、いけばな展でよい作品を作り上げる事が出来るようにしようとするのは正しいです。
しかしそうではなく、日頃のお稽古はソコソコにしておきながら、いけばな展の時には他の人よりもイイ作品を作りたいって思う人が中には居られますあす。

その時だけ良いカッコしようとしても、それは無理です

まあ、こういう人の結末は、わかっているんですけどね。
作品作りに自分の精一杯を注ぎ込む事が出来ていないので、自分の作品を我が子の様に大切にする事が出来ない。
作品作りに自分の持てる力を目一杯注ぎ込めていないので、成功体験から得る事も、失敗体験から学ぶ事も出来ない。
一生懸命にいけばな展に向き合う事が出来ていないから、いけばな展に対する不平不満を言う事でしか自分の存在を示す事ができない。

ってなっちゃうのです。
寂しいですね。

いけばな展の楽しさと言うのは、一生懸命に取り組んだ領収書のようなもの

いけばな展は集中してのめり込むほど、楽しさを見つけ出す事が出来るものですし、一生懸命に取り組めば取り組むほど満足度はたかくなります。
折角のいけばな展なのですから、人の評価を気にして作品を作ったり、先生の顔色をうかがって作品を作ったり、自分の精一杯を注ぎ込まずに作品作りをしても、勿体ないですよね。

作品は作者の分身です。
そして作品の出来不出来は単なる結果です。
一生懸命に取り組んだ結果、良い作品が出来る事もあれば、思った作品が出来あがらない時もあります。
それが普通です。だって人間だもの(笑)

良い作品を作れればよい、と言う事では無く、自分の考えや好みや主義主張を盛り込んだ分身と言える作品を作ろうとし、その一点に注力する事にこそ、自身の成長や学びと満足感が有るのです。

一生懸命に作品を作り上げて生け込みを終わった後の満足感。
生け込みやいけばな展の終了後に仲間と食べる食事や飲むお酒の美味しさ。
一緒の時間と体験を仲間と共有する事が出来た一体感。

是非1人でも多くの皆さんに、この体験をして頂きたいと思うばかりです。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。