「阿呆の考え休むに似たり」ということわざがありますが、これ実は大きな間違いなので、正しい表現に直してみました

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

今日は、お昼ご飯を食べながらの例会に出席しながらブログアップしています。というのも、このあと会議があり、そしてお出掛けもしなければならないので、時短って事です。(笑)

こちらのお料理は、いつも安定の〝残念さ〟なのです。( ノД`)シクシク…

「阿呆の考え休むに似たり」ってことわざをご存知ですか

「阿呆の考え休むに似たり」と言うことわざを聞かれたことはありますか。このBlogで初めてこのことわざを目にされた方でも、字面からあんまり良いことを言っていないという想像はして頂けるんじゃないかと思います。

はい、簡単に言えば、「アホ(実力のない人や、その道に詳しくない人のこと)な人が、いくら考えても大した事は思いつかないので、休んでいるのと同じようなものだ」ってことです。
ちなみに元々は、将棋とかで下手な人がいくら考えても良い手は浮かばないという事が語源の様です。

ところで私は、この言葉は現代においては大きな間違いだと思っており、その理由として2つ挙げることが出来ます。
まず第1番に、どんなに頭が良くて、素晴らしい考えを持っていても、行動しなければ何にも生まれないからです。
そしてもう1つ付け加えるならば、行動してみなければその考えが良い考えなのかそうでないのかなんて絶対に解らないという事です。

2つ目に、どんなにアホだとしても、アホはアホなりに一生懸命に考えて行動すれば、その中から1歩づつ経験を積んだり学びを得たりしながら進歩の速度は遅くとも、確実に1歩ずつ前に進んで行く事が出来るからです。

行動しなければ何も生まれない

ってか、そもそもアホの定義って何でしょう。
勉強の出来る出来ない?だったら東大法学部以外はみんなアホって事ですよね。
実力の低い人?人の実力を自分と比べて笑う人は、世の中には上には上が居る事を知るべきでしょうね。
モノを知らない人?仮に今いる世界の第一人者だとしても、今までに携わった事も経験したことも無い事は知らなくて当然ですね。それよりも恥ずべきは、知らない事があることを理解せず自分が一番だと思っている事だと思います。

とにかく私は、モノを考えると言う事もとても大事な事だと思いますが、それ以上に行動をするという事がもっともっと大切な事だと思っています。

結果だけで判断するのは大きな間違いです

結果が良いからオッケーで、結果が思わしくないからダメだっていうのも、視野の狭い見方であり判断だと思います。

仮にいま行なっている事の結果が思わしくないとしましょう。けれど原因と思われる事柄から改善点を見い出して手当をし、良い結果を出せたら、最初の思わしくなかった事は途中経過でしかなくなるのです。
すなわち、途中で思わしくない時期もありましたが現在は良い結果が出ました!って事ですよね

なので極端に言えば、良い結果が得られるまで思考錯誤を繰り返してやり続ければ良いんです。たったそれだけです。
良い結果を導き出す事が出来るのは賢い人ではなく諦めの悪い人だと思います。だって結果が出なかったとしても、行動する事で可能性の扉は開かれるのですから。
そして開いた可能性の扉の中に入るためには、行動するしか方法は無いのです。

なので私はこのことわざは、「行動しない人の考え休むに似たり」に替えるべきだと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。

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