教えることは、自分が学ぶこと | いけばなを教える立場になって気づいた学びの意味
ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。
昨日は、光風流本部いけばな教室のお稽古日でした。
そんな中、月に一度お稽古にお越しになられている生徒さんに、久しぶりに行う花型の生け方をお稽古していただいたのですが、結構忘れておられる部分がありました。まあ、人間ですから、忘れるのは仕方のないことですよね。
そんな中で、学びという事について改めて考える機会になったので、今日はそんな事についてブログを書きたいと思います。
人は忘れる生き物です
期間が空けば空くほど、以前に覚えたことを忘れてしまいやすくなります。これは私自身の体験からも痛感しています。
例えば携帯電話が登場する前は、よく掛ける電話番号なんて20件や30件くらい覚えていましたが、今では何も見ずに言う事が出来る電話番号なんて、光風流本部と自分の携帯番号位です。あとはまるっきり覚えていません。
ちなみにこういう事って、日常でもお仕事でもいけばなでもアルアルですよね。
とは言え、「忘れるんだからしゃあないやん」という乱暴な話ではなく、私がこれまでいけばなの指導をしている中で、「これは面白いな」と感じていることがあります。
立場が変われば学びが変わる
いけばなのお稽古をしていると、何度も同じことを聞き直してこられる方がおられます。こちらが説明しても、しばらくするとまた同じことを聞いてこられるんです。
そんな中、その人が自分のお弟子さんを教えられるようになったら、どうなられたと思いますか。
それまで何度も何度も聞き直していたことを、一度で覚えてしまわれたんです。
これ凄いと思いませんか。
ではなぜ、そんなことが起こったのかという事なのですが、私は「立場が変わったから」だと思っています。
自分が教えてもらう側なら、分からなくなったらもう一度聞けばいい。ところが、自分が人に教える側になると、そういうわけにはいきませんよね。
そして生徒さんから質問をされた時に、自分が分かっていなければ説明することができません。
だから、人に教えようと思えば、自分自身がしっかり理解していなければならない。
頭が急に賢くなったんじゃないんです。立場が変わる事によって意識が変わったという事なのです。
学びには「インプット」と「アウトプット」がある
人から教えてもらったり、本を読んだりして、自分の中に入れるのがインプット。そして、それを実際にやってみたり、人に説明したり、教えたりするのがアウトプットです。
インプットだけでは、分かったつもりになっていても、時間が経つと忘れてしまうことがあります。そして忘れても困らない。しかしアウトプットしようとすると、覚えていなければ指導どころか説明する事すら出来ないですし、何よりも、忘れていては自分自身が恥ずかしい思いをすることになります。
なので私は、忘れないようにするために一番手っ取り早い方法の一つは、人に教えることだと思っています。
教えるという行為は、自分自身も、もう一度学んでいるのです。
いけばなのお稽古で、習ったことは忘れます。これは仕方のない事なのです。なので忘れたら、またやればいい。覚えるまで何度でも何十度でも繰り返せばいいだけなのです。
けれどそんな手間暇の掛かる事をしなくても、一日も早く、自分が誰かに教える立場になれば、勝手に覚えてゆくし、忘れる事も激減するようになるのです。
教えるということは、人に教えているようで、実は自分自身が学んでいることに他ならないのです。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。




