自分の好みを相手に押し付けている先生からは、良いお弟子さんが育たないと私は思っています
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ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
少し前に光風流の先生と話をしているときに、「指導」と「教える」の違いが話題になったことがありました。
この件についてはひと月くらい前にブログを書きましたので、興味のある方はこちらからご覧ください。
「教える」と「指導」は似て非なるものであり、いけばなにおいて導くことを抜きにしては絶対にならないのです
そしてこの「教える」と「指導」の違いという事について考えていると、「間違いをただす」という事と「好みを押し付ける」という事も無関係ではなくなってくるので、今日は好みを押し付ける事の功罪という事についてブログを書きたいと思います。
人は知らない間に、自分の好みを人に押し付けてしまっている場合がある
「好みを押し付ける」という事に私が敏感になってしまうのは、いけばなの指導においてそういう事をよく目にしたりするからかもしれません。そしてこの事について一番問題だと思うのは、先生自身がその自覚なく、自分の好みをお弟子さんに押し付けているという事です。
例えば色使いって好みですよね。派手な色遣いが好きな方、シックな色使いが好きな方。あるいは、色数少なくまとめるのが好きな方、色数を沢山使うのが好きな方。様々な方がおられます。そんな中で、その場に相応しい色使いという事はあります。
一番わかりやすい例は、お葬式の時にお花を生ける場合があったら、赤色を多用して嬉しそうな印象のお花にしてはチョット具合悪いですよね。
この様な事はあるにしても、ほとんどの場合、色使いや材料の取り合わせなどはその人の好みによる部分が大きいです。
なのに先生だからと言う事で、自分の好みの色使いや、自分の好みの材料をお稽古に来られている生徒さんに押し付けちゃっては、生徒さん自身が楽しくないでしょうし、先生の顔色をうかがって先生好みのお花を生けるようになってしまっては、その生徒さんは伸びないですよね。
人の好みにまで口出しをするのは、自分に自信が無い人
お花でわかりにくければ、服の好みやアクセサリーの趣味なんて1人1人違っているものですよね。
なのに他の人の趣味が、自分の好みじゃないからと言って、どうのこうのとワーワー言っても、「そんな事ほっといてよ!!」って話じゃないですか。
まあ人の服装やアクセサリーを殊更に取り上げて、雑談の中であれがどうとかこうとか言っている人は、自分に自信がなく、自分に自信がないから許容範囲も狭く、他の人の自分と違うところを認める事が出来ないので、その違うところを攻撃する事で自分の優位性を強調したいだけの人がほとんどだと私は思っています。
先生は自分のミニチュアを育てるのではなく、生徒さんの個性を伸ばしてあげることが大切だと思います
指導者の立場にある先生には、今自分が言おうとしている事は正しく生徒さんを導くためのアドバイスなのか、あるいは自分の好みを押し付けているだけなのかを、自らでしっかりと考えて判断しなければならないと思います。
先生のミニチュア版を作り上げても仕方ないんです。だって100%真似が出来たとしても、しょせん先生と同じにしかなれないのであって、先生を超えるような良いお弟子さんは育たないのです。
先生の好みを生徒さんに押し付けても、「百害あって一利なし」、「功罪の功なんて何一つもない」と私は思います。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。