宮古島に行って改めて感じた「八百万の神」を大切にする事と、万物の霊長と言われる「人の存在」について

こんにちは、内藤正風です。

宮古島に行ってきました。いやぁ~楽しかったです!!

「八百万の神の考え方」を今も日常の中で大切にしている沖縄方面

今回の宮古島もそうですが、沖縄方面に行くといつも感じることがあります。それは「八百万の神」の考え方が今も日常生活の中で色濃く根付いているなぁってことです。

日本はすべてのモノに精霊が宿るという八百万の神の考え方が原点にあります。
植物や動物という命あるものだけではなく、道端の石には石の精霊が宿り、人が発する言葉にも言霊(ことだま)が宿るという様な考え方です。
その一例が「いただきます」という日常生活の中で何げなく使っている言葉になっていたり、神社によってお祀りしている神様が違ったり神社ごとによってご利益が違ったりすることなども、八百万の神の考え方だからこその事だと思います。
ちなみに神社はパワースポットと呼ばれる場所に建っていることが多く、鎮守の森と言われる所以でもありますね。

万物に精霊が宿るという考え方は、その場所にいて居心地の良さにもつながります

同じ日本であっても、沖縄は琉球王国をそのルーツにしていますから、文化的には違うところも沢山あります。しかしこの八百万の神の考え方に関しては、沖縄のほうがもっともっと色濃く日常生活に残っているように私は思います。

たとえば先ほど書いた神社などは良い例で、沖縄では神社に相当する「御嶽(うたき)」と呼ばれる場所が日常生活のあちらこちらにあるほか、観光地になっているところにも神様との関わりの強い場所が沢山存在しており、これも沖縄方面の特徴だとも思います。

しかしこういう地元の方の日常生活に関連した事柄って、普通に観光しているだけでは中々触れることは出来ないのですが、行動している時に地元の方との触れ合いや交流をチョッと意識してみるだけで、その一端を垣間見ることが出来たりするので、これも旅行の醍醐味だと思います。

ちなみにこの八百万の神の考え方はハワイでも古来よりとても大切にされており、私がハワイに定期的に行きたくなる要因の1つでもあるのだろうなぁ。。とも今回の宮古島滞在中にそんなことを思ったりもしました。

八百万の神の考え方とは「尊敬」と「畏敬」と「感謝」

八百万の神の考え方の基本は、自然と共にあるという考え方にほかなりません。
なので人間が生きるために必要な食べ物も自然からいただいているという感謝であり、人の力では何ともならない雨や風や台風というような自然の力への「畏敬」であり「尊敬」であるという事なのです。

人は「万物の霊長」と言われていますが、それは決して人が1番偉いのではなく、この自然と共にある中で人間だけが「尊敬」と畏敬」と「感謝」をすることが出来る存在であり、加えて自然との調整や調和を図ることが出来る存在だからだという事なんだろうなぁと思います。

今回の宮古島では、そんなことをつくづく感じる機会になりました。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。