”いけばな” と言うと多くの方が「古くからの事を変わらずおこなっている」と思われるでしょうが、実は ”挑戦” と ”変革” の積み重ねが「いけばな」の歴史なのです

こんにちは。内藤正風です。

今日は朝から夜まで光風流本部いけばな教室でお稽古を行ないました
実働12時間以上。。ブラックなんてものではありません。ブラックホールです。へへ、どうだまいったか。(笑)

ちなみに緊急事態宣言下ですので、完全予約制 + 極少人数でお越しになられる皆様には安心してお稽古を行なっていただくことが出来る様にして開催しているのですが、この完全予約制 + 極少人数が案外好評なんです。

思い込みって、沢山しているんだなって思います

完全予約制 + 極少人数っていう、これまでに行なっていない方法を取り入れての開催ですので、皆さんにご迷惑をおかけするだろうし不評だろうな~って最初は思っていたのですが、蓋を開けてみたらビックラポン!!
お稽古にお越しになられている皆さん、今のやり方のほうが居心地が良さそうな人が多そうな感じなんです。

これまでこの方法でやってきているから。。。とか、これこそが良い方法なんだ。。。。。というのは、単なる思い込みや自分の勝手な決めつけなんだという事を改めて感じています。
そしてこれって、”いけばな”に対して世の皆さんが持たれているイメージも、全く同じことが言えるなあと思います。

”いけばな”は時代と共に常に移り変わってきている

いけばなの歴史、それは"変革の歴史"といえます。こういうと「えぇ~っ」って思われる方も多いかもしれないですね。
しかしいけばなの歴史を紐とくと、新しい事に常に挑戦し続けてきているのです。

「いけばな」のイメージとして多くの方が、”古くからの伝統ある文化”と言う風に思われる人が多いです。確かにいけばなには約700年の歴史がありますので、間違いではありません。
しかしそれと共に、”古くからの事を今も昔と変わらずに行っている”という風に思っておられる方もとても多いのですが、実はこれが大きな間違いなのをご存知でしょうか。

床の間は昔から一般に普及していたものではありません

最近はお家に床の間や和室はほとんどありませんが、少し前までは一戸建てであろうとマンションであろうと何なら公団住宅までお家には床の間を設けるというのが普通でした。
しかしこの床の間も実は、戦後の高度成長時代以降に建てられるお家にもれなく設えられるようになったものであって、それまでは裕福なお家にしか無いものでした。

もっとさかのぼれば江戸の初期までは、床なんてまずほとんど一般には目にしない存在だったのです。じゃあそれまではどんなところに床があったかというと、神社、お寺、お城、一部の上級武士の家や超お金持ちの家くらいにしかなかったのです。

いけばなは女性がするモノと言う考え方も最近のものです

「いけばな」ときくと、女性の素養とか結婚前の花嫁修業のように感じられている方も多いかもしれませんが、実はそれも昭和の時代に普及した考え方なのです。
そもそもいけばなは男性が中心に行なっていたもので、もっとさかのぼれば武家や貴族、一部のお金持ちが嗜むものだったのですが、いけばなをもっと広く普及させようという事で大正から昭和にかけて地域の婦人会活動や女子高(当時は女学校)などでいけばなを行なうようになり、ちょうどそのころに女性の結婚の花嫁修業と言う考え方とも結びついて一気に女性中心の構図が出来上がったのです。

洋風と言う価値観が入ってきたのも最近です

洋風と言う価値観も明治以降のものです。
江戸から明治に変わって鎖国がとかれ一気に諸外国の文化文明が日本に流れ込んできて、一気に生活が西洋化してゆきました。それまでは和室で座ってと言う生活だったのが、テーブルと椅子を使うようになったりお部屋を洋間にしたり建物自体を洋館にしたりする事が流行ったのです。

どうでしょう、この3つを挙げただけでも環境や価値観が大きく移り変わっていますし、それに合わせていけばなが変革を積み重ねてきているという事をご理解いただけるのではないかと思います。

いけばなは不変のものではなく、時代と共に常に移り変わってきている

「いけばな」には古来からの伝承を今に伝えている側面もありますが、それだけではありません。
今と言う時代の中で「いけばな」が出来事を模索し続けて、新しい挑戦をし続けてきている歴史でもあるのです。

約700年前に「いけばな」は仏教伝来と共に伝わってきた「供華」をルーツとしており、これまで歴史を積み重ねてきています。
特にお花を飾る環境の変化は、いけばなの花形に変革をもたらす大きな要因となりました。

江戸中期になって太平の世となり床の間が一般のお家(といってもお金持ちのお家ですが。。)にも設えられるようになったことによるいけばなの変革、明治になってテーブルや椅子が生活に持ち込まれたことによるいけばなの変革、この様な変革が700年前から環境の変化に合わせて行われてきており、その時代時代の華道家が色々な花形を考案し発表してきたのです。

生き残るためには変化を恐れてはいけない。生き残るためには変化し続けなければならない。

今、基本の生け方やスタンダードな花形として伝わっているものは、200年前に時代や価値観の変化にともなって新しい花形として発表されたものであったり、100年前に新しい花形として発表されたものであったりするのです。
それまでの歴史を土台にして、世の中の価値観や流行り、住宅環境などの移り変りにあわせて、常に変革してきている、すなわちそれまで積み重ねてきたノウハウは「伝承」であり、挑戦を続けてきた足跡が「伝統」という事なのです。

700年の歴史に基づいた「いけばな」として大切にしなければならない事を土台にして、未来に向けて挑戦をする。これこそが「いけばな」の正しい姿なのです。
生き残るためには変化を恐れてはいけない。生き残るためには変化し続けなければならない。まさにダーウインが言う「適者生存」そのものだと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。