「型破り」には、視点の軸足を替えてみると今までになかったものが見えてきたり感じる事が出来るのです。
久しぶりに滋賀の「鶴喜そば」さんで、お蕎麦を食べてきてご機嫌さんな光風流家元 内藤正風です。
私はお蕎麦が大好きなんです。
これまでからブログを読んでくださっている方やFacebookを見て頂いている方は「いまさら言うな~」って感じでしょうが(笑)
今日は「釜揚げ蕎麦」を頂いてきたのですが、食べながら「これって凄く面白いなぁ」って思ったんですよ。
だって「釜揚げ」って、”うどん”であろうと”蕎麦”であろうと、茹でてその茹で汁と共に器に入れてあるだけじゃないですか。
今日のこのお蕎麦なら、釜の形をした陶器の器に入っていて、うどんならば白木の盥(たらい)とかに入っているだけですよね。
たったこれだけで、別メニューとして成立しちゃうし、釜揚げが好き!!なんてファンまでできちゃうんですから。
これも一つの「型破りの発想」だなぁって思ったのです。
たぶん昔は、茹で汁はよく切って、だし汁をうどんやそば自体に掛けるか、あるいはだし汁につけて食べるって考えだったんだろうなと思うんです。
(蕎麦の場合には蕎麦湯を呑むってことはありますが。)
まあどちらにしろ、麺を茹でたらそこからあげるっていうのが普通だったんだろうなと。。。
けれどどこかの時代に誰かが、麺を茹で汁に入ったままで提供したら温かさも損なわないし、風情ある器に入れたら手間もかからなくて面白いんじゃない?なんて思いついてやり始めたんじゃないかと思うんです。
(ちなみに、これ私の勝手な空想や妄想で物語作って面白がっているので、そうじゃないってクレームつけられましても全て却下します(笑))
で、何が言いたいかと言うと、
「型破り発想」というのは、今までに普通とされていたものや、みんなが何も考えずに普通にしている事を疑ってみるっていう事も入口になるのです。
すなわち「常識を疑う」とか「普通を疑う」って事です。
「常識」って何ですか?「普通」って何ですか?
食事をするときには、手で持って食べたら行儀が悪い??
世界の人口の中では半数近くが手で食事をしています。
ちなみにウイキペディア先生によると。。。
手食文化(てしょくぶんか)は、人が食事を摂る際に、手を使用して食べ物を口に運ぶ食文化を指す。現代ではアフリカ、中近東、インド、東南アジア、オセアニアなどを中心に、世界の約44%の人が主に手で直接ものを掴んで食事を行っている。また、手食文化圏以外でも料理の種類によって選択的に手食を行う場合がある。手食文化圏外の人々からは文化的思考差異から不潔、野蛮といったネガティブなイメージを持たれがちであるが、手食文化圏においては食べ物を口に入れる前に手(指先)で味わうことから、道具を使用した食事方法よりも優れているとされ、また、道具(食器、食具)よりも良く洗った手の方が清浄であると考えられている。
たまたま日本がお箸で食べるからと言って、手で食べるのはおかしいなんて言うのは、世界の中で見ると???って事ですよね。
お雛様のお内裏様とお雛様の置く位置はどちらが右でどちらが左?
地域によってお内裏様が右のところもありますし左のところもあります。
ちなみにウイキペディア先生によると。。。
壇上の内裏雛は内裏の宮中の並び方を模している。
かつての日本では「左」が上の位であった。人形では左大臣(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で天皇から見ての左側(我々の向かって右)にいる。
ちなみに飾り物の「左近の桜、右近の橘」での桜は天皇の左側になり、これは宮中の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びでもある。
明治天皇の時代までは左が高位というそのような伝統があったため天皇である帝は左に立った。
しかし明治の文明開化によって日本も西洋化し、その後に最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋に倣って右に立った。
それが皇室の伝統となり、昭和天皇はいつも右に立ち香淳皇后が左に並んだ。
それにならい、男雛を右(向かって左)に配置することが一般的となったが、現在でも畿内や西日本を中心に旧来の配置を続けている家庭もあり、社団法人日本人形協会では、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」としている。
ねっ!
こうして見ていると、常識とか普通なんてものは、地域や時代でどんどん移り変わってゆくものだという事がお分かり頂けると思います。
もっと言うならば、常識や普通なんて言うのは、その地域の指導的立場にいる人がみんなを扱いやすくするために設けたものであったり、自分自身が他の人と大きく違ったりすることが無くて安心できるために設けているだけのものでしかないのです。
「枠を自分で作って、発想や行動を自ら制限しているもの」ならば、まずここを疑ってみる。
普通や常識と思っている事こそ、見方を変えると普通じゃなかったり非常識だったりするのかもしれないですよね。
型破りって、視点の軸足を替えてみる事で、今までになかったものが見えてきたり感じる事が出来るものです。
まずは常識や普通を疑ってみましょう!
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。
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