コロナ禍で世界中が自らを省みなくてはならなくなっている今こそ、「感謝」と「畏れ」という日本人が古来より大切にしているものに目を向けるべきだと思います

こんばんは、内藤正風です。

今日はお正月のお花のお稽古を教室で行なってきました。

季節感が無くなったと言われる時代だからこそ、大切にする意味がある

季節感が無くなったと言われて久しいです。しかし夏は暑いし冬は寒いです。温暖化と言われていますがやっぱり夏は暑いし冬は寒いです。
なので季節感が無くなったというのは正しい言葉ではないですよね。
正確には「日本に古来から伝わっている四季を楽しむ歳時を大切にしなくなった」ってことなんですよね。

本来日本人はお祭り好きだし楽しい事をするのが大好きな民族なんですよね。
なぜなら、ハロウィンがいつの間にやら定着していますし、バレンタインデーや恵方巻も、その本来の意味や歴史というよりもお祭り騒ぎとして定着しちゃっているのを見ているとそう感じます。

けれど逆に、古来から行なわれている真面目な歳時はどんどん廃れていってしまっている様に感じるのは私の思い過ごしでしょうか。

全てのモノに敬意を払い共存しているのが日本人です

古来日本は、全てのモノに精霊が宿るという「八百万思想」に基づいて国造りがされています。
そして神話などを読んでいると分かるように、長所と短所があることを認め、その長所を伸ばすという思想なのも読み解くことが出来ます。
世界の中でもこのような民族は珍しいですし、その事によって2000年以上も国が続いているというのも日本の特徴だと思います。

全てのモノに敬意を払う。
道端の石ころにも敬意を払う。人間が排せつを行なうトイレにも神様が宿り特別な場所だと考える。人は話した言葉にも魂すなわち言霊が宿ると考える。
そしてこのように敬意を払うからこそ、共存をはかる考え方に結びついていっているのです。

日本伝統の歳時は、「感謝」と「畏れ」という大切なものを教えてくれているのだと思います

日本人は、国生みの昔から自然との共存共栄をその根本としてきています。
それはすなわち、人間の力をはるかに超えた存在があるという事を前提として、人間の未知なる可能性を知ると共に無力さも知るという事ではないでしょうか。

どんなに大きな建造物を作っても、自然はそれを超える猛威を振るいます。
100年に1度とか1000年に1度とかってよく耳にしますが、これって人知を超えた力の存在と、人間の無知と無力を露呈しているだけの事なのです。
なので昔の人は沈下橋や流れ橋を作ったというのは、人間の無力さと英知が合わさった良い例だと思います。

こういう風に考えると、私は日本の歳時は程度の大小は別にして、こういう日本人として忘れてはならない大切な事を1年の節目節目に学ぶ機会として代々受け継がれているものだと思うのです。

国際化なんてクソくらえ。日本人の根幹を学べば世界に通用する

国際化という事で、諸外国の文化を取り入れ真似をすることがもてはやされたりする場面がありますが、こういうのを見るたびに思います。
「国際化なんてクソくらえ!!」って。

ブレイクダンスがそれなりに踊れるようになっても、海外に出て行ったときに尊敬はされないでしょう。
英語を喋ることが出来るからと言って、海外で一目置かれることもありません。
なぜならば迎合する事は国際化ではないからです。

私が思う真の国際化とは、
自国の文化を他国に向かってしっかりと伝えることが出来る。
自分の国の文化を自らで体現することが出来る。
という事だと思います。

コロナ禍で世界中が自らを省みなければならなくなっています。そんな今こそ、私たちも日本の特徴や日本人という事についてしっかりと見つめ直す好機なのではないかと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。