人にどう評価されるかを基準にするから ”いけばな” が楽しくなくなっちゃうのです。

こんばんは。内藤正風です。

昨日、光風流で長くお稽古されている方とお話をしていてこんな事を聞きました。「お花生けていて、昔のように楽しくないんです。」
一大事です。大問題です。。放ってはおけません。。。っていいながら慌てふためきもしませんが(笑)

まずはその方のお話を色々聞かせて頂きました。昔の事、今の事、お稽古の事、いけばな展の事、お家で生けるお花の事。。。。。
かなり色んなお話を聞かせて頂いている中で、「あっ!!」って気付く事がありました。
それは。。。

人の評価を気にしてお花を生けておられるって事です。

最初は何をしても楽しかったはずです

お花を始められてスグの時は、自分でお花を生ける事が出来る喜びや、自分で生けたお花を飾る事が出来る喜びでイッパイで本当に毎日が楽しかったそうです。
いけばな展に作品を出展しても、こんな事をしたいとか、こんな器を使いたいとか、自分のしたい事が形になって展示できることがとても楽しかったそうです。

ところが経験が長くなり立場や役職が責任あるようになってくると、段々と周りの目を気にするようになってこられたのです。
こんなんして笑われないだろうか。。とか、今の自分だともっとこうしないといけないんじゃないだろうか。。。とか、人にどんな風にみられるかとか、人からどう思われるかとか、今の自分ならもっとうまく生けないといけないとか、人の評価ありきになっておられたようです。

自分で自分を呪縛にかけてしまっている

いけばなは他人のためにしているのではありません。自分のためにしているのです。
もちろん生けたお花を他の人に見ていただき楽しんでいただくという要素もありますが、それは二次的なものだと思います。
自分が楽しむ為に、お花を生けると言うことを通じて自分自身をレベルアップやステップアップさせるためにしているのが、そもそもの根幹だと思うのです。
なのにいつの間にか、自分の「楽しい」と言う思いは放ったらかしになって、人にどう評価されるかと言うことに目が行ってしまっているのです。
すなわち”人によく見られたい”って言うここに原因の全てが有ると思うのです。

好きや嫌いという評価を、人は何の責任も持たずにしているのです

1つの作品を作ったとします。その作品を見て、好きだなって思う人も嫌いだなぁって思う人もいるのが普通です。だって評価なんてそんなものです。
好きな芸能人のトップ10のうち何人もが嫌いな芸能人トップ10に入っているのと同じです。
だれも責任をもって評価なんてしません。
評論家と呼ばれるような人も、自分がした評論に責任なんて持ちません。自分が評価した人が売れなかっても、その人の生活の面倒なんて見ませんよね。

そんなだれも責任を持たないような他人の評価に一喜一憂したり振り回されたりせずに、自分の道を歩んでいくことこそが、楽しさをしっかりと持ち続ける一番の方法だと思います。

人の評価なんて気にせず、自分のしたい事をやればいいんです。それが自分の”楽しい”を増幅してくれる唯一の方法なんです。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。